・開会の辞 小川直之(國學院大學教授) 13:00~
・趣旨説明 13:10~
・パネルセッション 13:20~ ※途中、休憩あり。
及川祥平(成城大学准教授)
「ナガシノの記憶、あるいは長篠・設楽原合戦のフォークロア」
重信幸彦(國學院大學兼任講師、北九州市平和のまちミュージアム館長)
「ある「勇士」たちの残影―北九州「体当り勇士」の78年―」
倉石美都(韓国・京畿大学准教授)
「「将軍」という名の英雄―韓国における有事の英雄―」
伊藤龍平(國學院大學教授)
「「君が代少年」再考―植民地下台湾の有事と平時―」
・討議 15:50~
・閉会の辞 飯倉義之(國學院大學教授) 16:50~
《発表要旨》
及川祥平 「ナガシノの記憶、あるいは長篠・設楽原合戦のフォークロア」
有事の記憶は平時においても、また、新たに直面した有事下においても、その時々の思惑や状況のもとで語り重ねられ、語りなおされていく。また、その記憶には、語り重ねられ、語りなおされてきた経過が刻印され、その痕跡が堆積していく。本報告ではそのような地域の歴史実践について、長篠・設楽原合戦という戦国期の軍事衝突を主な事例として、有事と平時という軸を関わらせながら検討してみたい。
重信幸彦 「ある「勇士」たちの残影―北九州「体当り勇士」の78年―」
今回扱う素材は、1944年8月に北九州に飛来したB29に体当りして戦死した、陸軍航空兵の「美談」である。戦時中に墜落地点と伝えられる場所に碑が建立され、現在も、地域の一部の有志が、毎年8月に「慰霊祭」を続けている。まず、「有事」から「平時」へ、この出来事がどのように語られてきたか、当時から現在にいたるまでの同美談の変遷を整理する。その上で、数多くの戦時中の武勇の美談が忘却されたなかで、戦中の「有事」をめぐる「勇士」の美談が、平時のローカルな「歴史実践」の一つとして語られてきた過程を検討したい。(なお本報告は、今夏の同「慰霊祭」を中心に調査を実施し、秋に報告する予定であったため、7月末の報告では、文献資料を中心とした中間的な仮説の提示になることをお許し願いたい。)
倉石美都 「「将軍」という名の英雄―韓国における有事の英雄―」
1910年に韓国併合が行われ、1945年までの35年間、韓国は日本の支配下におかれた。1950年に朝鮮戦争が勃発し、日本の支配下におかれた状況で活躍した人々が、韓国のために活躍するようになる。しかし、日本の支配下で活躍したために、祖国である韓国のために戦った人の中には、戦後、平時になってから「親日派」として非難の的となった人もいた。本報告では、韓国における有事での英雄と平時での英雄がどのような存在だったのか考えてみたい。
伊藤龍平「「君が代少年」再考―植民地下台湾の有事と平時―」
日本による台湾の植民地統治は、1895年から1945年にかけて五十年間にわたって続いた。いつ終わるとも知れぬ植民地下という状況の中で、他民族による支配という有事がいつしか平時となっていく。そこに日中戦争、太平洋戦争という新たな有事が始まる。日本の植民地時代を生きた台湾人は、幾層もの有事と平時を生きた。本報告では、日本統治下台湾で刊行された美談集に語られた人物たちを通して、植民地下の有事と平時について考えてみたい。
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