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総務省が令和7(2025)9月30日に発表した、全国の公立病院の令和6(2024)年度決算によれば、全体の経常収支は3952億円の赤字となり、過去最大を更新した。赤字を垂れ流す地元の公立病院──ひょっとしたら、そんなイメージを抱いて眉をひそめる人も多いかもしれない。 しかし、その見方は一面的に過ぎるのではないかというのが、林行成・経済学部教授の意見だ。たしかに経営が改善される余地はあるが、それ以前に、なぜ公立病院にて赤字が発生するのかという理由を考える必要があるという。一体どういうことなのか、医療現場のリアリティを林教授が知っていった経緯も含めて、インタビュー後編で語ってもらった。 |
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現場のリアリティから制度設計を考える
若い頃、広島の大学で医療経営を考える学科に赴任した際、それまでは医療現場の現実をよく知らなかったことについて、インタビュー前編では触れました。医療経済学の道に踏み出したはいいが、実際のリアリティには正直疎かったのですね。
広島では、病院経営のコンサルティングをしていらっしゃる先生に仲良くしていただき、病院に足を運ぶときに一緒にいこうといってくださって、あちこちの病院に赴くことができました。他にも学生たちの病院実習などもあり、さまざまな病院の方々と交流する機会が増えていきました。
そうするうちに見えてきたのは、医療現場の方々一人ひとりがもつ情熱と、一方で経営面ではどんどん苦しくなっていくという現実との間で発生するジレンマであり、それらをめぐる切実感でした。
医療経済学は、医療における資源配分の効率性を考える学問。こうした病院の現実を目の当たりにしたときに経済学者が問うべきは、やはりどういう制度設計をしていくかということです。そのためにこそ現場のリアリティが考慮されるべきだと、病院の現実をだんだん知るようになった私は考えたのでした。
医療従事者の方々は、患者さんを救いたいという願いや、社会の役に立ちたいという思いといった利他心に基づく動機、つまりモラル・モチベーションに基づいて働いておられるわけですが、しかし診療報酬であれ薬価基準制度であれ──込み入った議論になるのでここではひとまず詳細は省きますが──成果主義に基づいた制度設計がなされている。ここにギャップがあるわけですね。

成果主義一辺倒にならずモラルを保つ重要性
公共的な使命感に燃えて医療に従事している人たちに対して、成果を出せ、出せ、とせっつくようなビジネスライクな制度になっている。これは気持ちを逆なでしますし、モチベーションを衰えさせてしまいます。
もちろん、渡すべき報酬を渡さずにやりがい搾取になってしまう事態は避けるべきですが、とはいえ成果主義的な側面を強める制度では、医療は間違った方向に進んでいくのではないかと思うようになりました。
公共的な活動において、十全にモラル・モチベーションを発揮してもらうための制度設計や組織設計を考えなければ──。こうした研究を進めるなかで、医療の現場の大変さを徐々に知っていきましたし、そこにあるリアルな問題を医療経済学だからこそのやり方で扱うことの面白さにも、目が開かれていきました。以後、現在に至るまで、医療経済学を専門にしています。
以前から関心を抱いていましたが、最近改めて強く興味を抱いているのが、国公立病院。『知っておきたい医療リテラシー 日本の医療の効率と公平を問う』(日本評論社、令和7〔2025〕年)の最終章でも論じているテーマです。
いまの国公立病院、なかでも特に、地方自治体が運営する県立病院や市立病院といった公立病院は、大きな経営赤字を抱えています。独立行政法人化を始めとした改革が進んでいる最中ではありますが、しかしこの赤字を、公立病院の非効率的な経営の結果としてだけ見るのは大きな誤りです。

もしもの備えをおこなうことが公の役目
国公立病院はその名の通り、公共的使命を果たさなければいけないわけですが、重要なのが不採算医療です。災害医療に救急医療、過疎地域での医療など、国公立病院が果たすべき、しかし儲からない医療の領域は多くあります。コロナ禍のような感染症のパンデミックの際に、国公立病院が果たすべき役割も大きい。しかしこれらの備えは、いつやってくるかわからない非常事態のために常日頃からなされていなければなりませんから、それだけで大変な負担になるわけなんですね。
経営の黒字化だけを考えていたのならば、もしもの場合の備えが疎かになることによって、地域が壊されかねません。ここで必要な「公」の役割は、採算性だけを考えるならば一見無駄に見えるものだとしても、必要な投資であればきちんと実行することにあります。こうした国公立病院の存在意義を、行政も、そして私たちもきちんと評価できるか、ということが問われているのだと思います。
経営改革は、もちろん大事です。しかし、採算性だけが国公立病院の本懐ではない。国公立病院が普段からコストをかけてさまざまな事態に備えているメリットは、普段は表立って見えないものでもあります。
たとえば医療機器も、国公立病院はよく最先端のものを導入します。それは当然、大変高価な機器であるわけですが、ここまで述べてきたような国公立病院の果たすべき役割を考えれば、無駄な出費だと一概に非難できるものではないわけです。最先端の機器を導入するからこそ、対応できる緊急事態もまた存在する。
そうした機器の導入が、医療機器開発や技術の発展を支えているという側面もあります。さらにいえば、パソコンでもiPhoneでも新しい物好きが最新機器を買い求めてくれるからこそ大量生産が可能になって価格が下がり、機器が普及していくという面もある。医療機器の購入ひとつとってみても、国公立病院のありようが深く関係しているのです。
こうしたさまざまな面に想像力を働かせることなしに、経営難を批判したところで、どうにもなりません。むしろ国公立病院の、目に見えない「公」の役割をどう可視化し評価するのか、という点こそが重要だと私は考えますし、今後も医療経済学の観点から研究を進めたいと思っています。
<<前編は 「資源配分の効率性を現場から考える。理論経済学から医療経済学に進み見えたもの」
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