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決して安くはない保険料を払っても、仮に病院にかかったとしても、私たちは医療のことをあまり知らない。ブラックボックス化してしまった医療の仕組みを、医療経済学という専門的な知見をもとに明るく照らし出したい──それが林行成・経済学部教授が上梓した『知っておきたい医療リテラシー 日本の医療の効率と公平を問う』(日本評論社、令和7〔2025〕年)の狙いだ。 そもそも、医療経済学とは何だろう。そんな基本の「き」から尋ねていく前後編のインタビューはきっと、予想外の面白さに満ちている。林教授自身が思わぬかたちで、医療経済学の世界に深入りすることになったように。 |
| ▼もくじ |
医療の効率的な資源配分を思考する
医療は、皆さんにとって本当はとても身近なものであるはずなのに、制度や仕組みとなるとよくわからないとおっしゃる方が多いのではないかと思います。
たとえば、保険料。日本の医療は保険料と税金という、私たち国民一人ひとりの負担によって賄われているわけですが、その仕組みについて理解していると自信をもっていえる人は、なかなかいないのではないでしょうか。少なくとも、税金やその使い道について考えるほど、関心が高いとはいえないですよね。日本の医療保険を運営している保険者が3000団体を超えているといった事実も、意外なこととして感じられる方もいるかもしれません。
繰り返すように、日本の医療は保険料と税金によって成り立っていますから、皆さんが医療のオーナーです。しかし、健康リテラシーは高くなっているとしても、医療リテラシーは正直、さほど高いとはいえない。だからこそ、医療のあり方をやさしく紹介しようと筆を執ったのが『知っておきたい医療リテラシー』です。
私の専門は、医療経済学です。経済学という学問をめぐる教科書的な説明のなかで、資源配分の効率性を考えるというような表現がなされることがよくあります。人や金、時間なども含めた資源が無駄なく配分されていく仕組みや社会を考える、ということです。
その意味で医療経済学とは文字通り、医療における資源配分の効率性を高める仕組みのあり方を追究する学問、ということができます。医療のあり方、その制度を分析し、評価していくことで、最も効率的な医療の資源配分を考えるわけですね。

GDPの約8.2%を占める国民医療費
なぜ、わざわざ医療における効率的な資源配分を追い求めるのか。日本の医療費の統計である「国民医療費」は、令和4(2022)年度で約46兆6,967億円。これは同年度の日本のGDPの約8.2%です。相当の数字ですよね。日本経済のなかでも、非常に重要なセクターになっており、決して無視することができないということは、どなたもご理解いただけると思います。
もちろん医療経済学が扱う資源とは、こうしたお金の話だけではありませんが、効率的な資源配分の重要性は、これで納得いただけるのではないでしょうか。
とはいえ、医療の世界は、どこか自分たちの日常から遠いところにある、というイメージを抱かれがちなのではないかと思います。私も医療経済学の道に入ってから30年近い月日を過ごしていますが、経済学という学問のなかでも医療の世界はハードルが高いものだと思われているように、正直感じます。
何より私自身が、医療を経済学者として考えるうえでの課題を、なんとか乗り越えようとしてきました。ここですこし、私が医療経済学の道に進んだ経緯をお話しできればと思います。

産業組織論とインセンティブ規制の理論を現実で活用する
かつて大学院に進んだときの指導教授は、いわゆる理論経済学を専門とする先生でした。その面白さを感じていたからこそ院に進んだわけですが、とはいえ将来のことを見据えたときに、単に数理的に理論を追い求めるだけでなく、現実をその理論を用いてどう分析できるのか考えてみたほうがいいのではないかと感じるようになりました。
そうした現実的な分析対象のことを考え出したとき、産業組織論は魅力的に思えました。産業組織論は、産業や企業といったビジネス的な側面を扱う領域で、経済学のなかでも一大分野です。
なかでも興味を抱いたのが、当時盛んに研究がなされていたインセンティブ規制という議論でした。たとえば鉄道や電力、通信といった公益事業は価格規制を受けていますが、先ほどの話でいうところの資源配分の効率性について、現行の規制は何が問題で、どうあるべきかを考える、というような話です。どこまでレギュレーションを敷き、どこから自由にするのかといった仕組みを分析するわけですね。
研究を進めるうち、この理論を実際に応用できる現実はないだろうか、と考えるようになりました。わかりやすくいえば、使いやすいトンカチのような道具を手に入れたので、それを実際に用いることができる領域はどこにあるのだろうか、と思案するようになった、ということです。そしてそのなかで浮かび上がってきたのが、医療でした。
ここまでお読みになっておわかりいただけるように、正直に申し上げて、最初から医療分野に関心があって対象に選んだというよりは、手に入れた理論を応用するために医療を選んだという側面が強いのです。しかし、医療の現実を知るなかで、そうした私の姿勢自体が問われることになり、やがて深入りしていくことになります。
修士論文で副査を務めてくださった先生のご縁で、医療データを分析する大きなプロジェクトなどに参加させていただくなどしているうちに、広島で医療を経営の観点から考える学科で教鞭を執るようになりました。病院経営について考える学科で、実際に病院の経営を担っていた先生も数多く在籍されていましたから、現実を知らずして頭でっかちに小難しい分析を展開したところで、響きません。そこからだんだんと知るようになった医療の現場のリアリティについてお話しするところから、インタビューの後編をはじめたいと思います。
後編は 「目に見えない「公」の役割をどう評価するか」>>
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