
臨床心理学の専門家に相談するというと、まるで一大事のようなイメージを抱いてしまっていないだろうか。内村慶士・教育開発推進機構助教が体現しようとしているのは、もっと気軽に、そしてフランクに相談しにいける相手としての、臨床心理学の実践者だ。
インタビューの前編ではまず、現在地点に至る歩みについて聞いた。私たちの日々に寄り添う姿勢はどのように培われ、同時に専門的な知に裏打ちされているのだろうか。
近年特に力を入れて取り組んでいるのは、臨床心理学の知見をベースにした学修相談や心理相談です。これは主に本学の学生を対象としていて、「学修支援センター」を起点にさまざまな活動に取り組んでいます。一方で学外でも、たとえばゲーマーの人たちのメンタルケアにかんしてイベントでブースを出してみたり、Vtuberをはじめとしたゲーム実況者などのメンタルヘルスについて考えはじめていたりと、すこしずつ活動の輪を広げているところです。
こうした詳細についてはインタビューの後半でお伝えすることになりますが、現在の実践に至るまでに何を考え、試行錯誤を重ねてきたのかということを、まずはお話しできればと思っています。そのことによって、臨床心理学が私たちの日常ととても近い学問であるということを伝えられれば、と。
大学に入学した当初は、かつて教わった恩師が素晴らしい方だったということもあって、中学校の教師になりたいと思っていました。そこからだんだんと考えが変わっていって、教員の先生方への尊敬の念はそのまま抱きつつも、生徒一人ひとりが抱えている困りごとやその背景にアプローチしていくことはできないだろうか……と考えるようになっていきました。

教員の方々が大変多忙なのは多くの人がご存知だと思います。その日々のなか、どうしても対応がとりづらい生徒個々の状況というものがある。そこに自分が何か寄与できることはないだろうか、と感じるようになったんです。やがて出会ったのが、臨床心理学という分野でした。
たとえば臨床心理学において有名な概念に、ジョージ・エンゲルという精神科医が唱えた「生物-心理-社会モデル(bio-psycho-social model)」というものがあります。これは人が抱える精神的な問題というものをトータルな視点で考えようというモデルで、生物学的な要因、心理的な要因、そして社会的な要因に分けつつその相互関係のなかで、多面的・包括的に捉えていく、というものです。
私が当初教育の現場を志し、その過程でだんだんと見えてくるようになった生徒一人ひとりと向き合うことをめぐる課題というものに、臨床心理学を通じてなら、うまく応えることができるかもしれない。教員とはまた違った方法で、生徒たちのことを密接にサポートできるのではないか。そんな予感を抱きました。
こうした臨床心理学の知見や技術に基づいて実践に移していく、臨床心理士という専門家の仕事があります。私が臨床心理学の道に進んでみようと思った理由としては、やはりこうした現場での実践に直結した分野であるということが大きかったのです。
もちろん、さまざまな仕事の仕方が存在します。相談に来た人の悩みや困りごとに耳を傾けて、一緒にその問題がなくなるような解決策を探っていく場合もありますし、問題を問題として認識しなくなるような方法を探る場合もあります。
問題を問題として認識しなくなる、というと、どういうことだろうと思われる方もいるかもしれません。これは、その人が認識したことによって「問題」がそこに成立している、という考え方をとるということです。つまり、別の視点から見ればそれは「問題」ではなくなる、問題とされる状況は変わらないけれどもそこに「問題」は成立しなくなる、ということもあります。専門的には「ナラティブ・アプローチ」と呼ばれます。

具体的にいえば、教室で自分が周りから“浮いている”と感じている人がいて、なんとか馴染まなきゃいけないと苦しんでいるとしましょう。ここには「問題」が成立しています。さて、困りごとを当人が話し、臨床心理士が聞いていくなかで、いや、それは別に浮いていてもいいんじゃないか、自分が他人よりちょっと変わっているくらいのほうがいいのでは、という考え方にふたりで至ることができたとする。すると、教室での状況は変わってはないけれども、そこにあった「問題」は姿を消すわけですね。
このようにいろいろな方法を含んでいる臨床心理学の世界に、私は一気に惹かれ、その門戸を叩いたのでした。
ここまで度々実践という言葉を用いているのですが、これもやはり臨床心理学の分野で重要な概念とされている、「科学者-実践家モデル(scientist-practitioner model)」ないしその修正版である「実践家-研究者モデル(practitioner-scholar model)」に基づいています。
ごく大雑把に説明しますと、実践でわかったことや問題意識を研究につなげ、そして研究で明らかになったことを現場に還元していく──この循環を大事にしましょう、というモデルです。自分の勘のみに基づいた実践は危なっかしいし、実践から離れて研究だけしていてもなかなか役には立たない。やはりその双方を循環させるのが重要なのだと自分の指導教授の先生もおっしゃっていて、自分もその通りだと思い、できるかぎりの研鑽を積んできました。
たとえばその取り組みのひとつが、後に加筆・修正のうえ『仕事からの切り替え困難に対する心理的支援 持続可能な働き方の実現のために』(東京大学出版会、2023年)という書籍にまとめることになった博士論文でした。実際に働いている方々から提供いただいたデータを分析しながら、その困りごとをできるだけ事前に“予防”する方法を探る研究です。
この“予防”という観点は、現在本学で取り組んでいる学修相談や心理相談などに直結しています。インタビューの後半では、こうした近年の取り組みのことも合わせてお話しできればと思います。
後編は 「支援が届くしくみをつくる 臨床心理学と現場の接点」>>
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内村 慶士
研究分野
リメディアル教育、ワーク・ライフ・バランス
論文
働く人の「切り替え」におけるセルフモニタリングの限界 : シフト制勤務の女性社員を対象にした調査から(2023/03/30)
アバター通信を用いた心理支援における非言語コミュニケーションの豊富さと対面性の低さの役割の検討(2022/02/28)
