宮﨑柚華さん(日文4)は、大学在学中に中国語をマスターしようと、1年間休学をして台湾に留学。そこで出会った先生の影響で、日本語教師が将来の夢になる。日本語パートナーとボランティアで奮闘する日々や、言語を学び教える魅力について話をうかがった。
生きる力と自信を養えた台湾留学
本が大好きで、幼稚園の頃には振り仮名が付いていれば自力で読んでいたという宮﨑柚華さん。幼稚園の年中から小学校4年生まで、父親の仕事の関係で中国に住んでいたことが、日本の言語や文学に興味を持ったきっかけだったと振り返る。インターナショナルスクールに通い、中国語と英語、日本語を意識して区別することなく話していたというが、帰国後は日本語力を取り戻すことに追われて中国語や英語はすっかり忘れてしまったらしい。中学生になって英語、大学生になって中国語と再会した時には、自分の感覚的にはまっさらだったという。
環境は大きく変わったが本好きはずっと続き、高校時代、古文の授業で習った源氏物語に心惹かれた宮﨑さん。古文を学ぶなら國學院大學でと、北海道短期大学部を経て日本文学科3年生に編入した。源氏物語の研究を続けるかたわら、第二言語で履修した中国語の面白さも忘れられない。大学在学中に習得しようと、新型コロナが落ち着いた4年生進級時に、1年間休学して台湾へ留学。そこには、これまで考えすぎて一歩を踏み出せずにきた性格を変えたいという願いもあったという。語学学校の選択からアパートの手配など、あらゆる手続きを自力でこなした。しかし、いざ台湾で暮らしてみると、日本で頑張って勉強してきたつもりだった中国語がほとんど話せずショックを受けたり、移民局への居留証申請で手違いがあったり、生活面でも住環境や食生活などで文化の違いを痛感したりと、想定外のことばかりだった。とはいえ、頼る人が誰もいない異国。どうしよう、ではなく、やるしかない。困難の多い状況が、宮﨑さんを変えた。日常生活の中でも会話を学ぼうと、一人暮らしのアパートからシェアハウスへ転居。最初に入学した語学学校が合わず、レベルアップを目的に転校もした。転校した先で、良い先生との出会いがあった。
「クラスの授業の中でも、一人一人のレベルに合ったアドバイスをくださったり、テキスト以外のお話の中にその日に学んだ文法や言い回しを盛り込んでくれたり…。先生との自然な会話を通して語学力が伸びました。言語を学ぶ楽しさと同時に教える素晴らしさにも触れ、日本語教師になりたいという夢が明確になりました」
1年間の留学で、HSKという中国語検定の5級に合格。苦労やトラブルをなんとか乗り越えてきたことで、中国語のみならず、これから生きていく上での自信もついた実感があるという。限られた時間の中で、躊躇する暇もなく、とにかく自分自身で行動して、求めるものをつかむしかなかった経験は、帰国後も生きてくる。

日本語やその表現をとても大切にしている宮﨑さん。インタビューでも、自分の中で一生懸命答えを探すような様子がうかがえた。
日本語教師を目指す挑戦と努力
復学後、日本語教師について相談に乗ってもらおうと学内各所を回る中で、国際交流課を知る。そこで日本語教師に近づくための具体的な行動のアドバイスをもらい、その一つとして交換留学生のサポートをするK-STEPアシスタントへの登録を勧められる。そして日本語パートナーとして、アメリカからの留学生に毎週2回日本語レッスンをするようになった。K-STEPの先生方に頻繁に助言をもらいながらではあるが、レッスン自体は一対一。宮﨑さんは想定問答集まで作成するなど、事前準備にじっくり時間をかけている。
「予想もできない質問もあるので、慌てないように備えておきたいのです。留学中に、伝えたいニュアンスが文法に影響することを実感し、文化や習慣が表れることが面白いと感じました。日本語の発話や文章には背景があるように思い、その言葉や文法が使われる場面や相手を明確にして教えるようにしています。無意識に使っている表現を言語化して教えることも大変ですが、それが文法だけで解決できないこともあるし、さらに個人差や地域差がある場合は私個人の感覚だけでは駄目ですし。一旦答えはするものの持ち帰って調べ直すこともしばしばです」
教える苦労に直面しているが、日本語教師を目指すことで、宮﨑さん自身の日本語感覚、もっといえば世界観も刺激を受けているようだ。読んでいる本の一文や人との会話の中に、日本語の特性に気づき、面白さを感じることが増えたという。日本語を教えながら、新しい角度から日本語を知っていくような感覚なのだそうだ。

アメリカからの交換留学生に、90分間の日本語レッスンを毎週2回行っている。教えることで、自分自身も日本語を学び直しているような感覚があるそうだ。
成長を求めて広がる世界
7月からは、居住地で日本語を教えるボランティアにも参加。ここでは発話や板書など授業の構成を考える教案も作成する。留学生との個人レッスンとは異なり、出身国をはじめ、学ぶ目的やレベルも様々な生徒が集まるグループ授業。大学の先生方に教え方などの指導を受けて授業に臨むのだが、現場は想定外のことばかりだという。しかし、宮﨑さんは、その一つ一つが経験として蓄積され、夢を実現するための力になると実感している。
言語を学び、さらには教える経験を積んできて、いま、宮﨑さんはどんなことを感じているのだろうか。
「言語はただのツールでしかありませんが、話せる言語が一つ増えるだけで、交流できる人や見えるものが増えていく。人との交流で経験できることも多いですが、たとえ交流しなくても、自分自身の中で考えることや選択肢が増えたり、本を読むだけでも発見があったりする。そのような私が感じている言語を学ぶ楽しさ、そして日本語の面白さを伝えられたらと思っています」
自分が成長できる場所が海外であれば、いずれは海外で教えたい、そこでもし中国語が生きるなら生かしたいと語る宮﨑さん。その瞳は、希望と自信で輝いている。