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なぜ日本の中小宿泊業の労働生産性が上がらないのか?

観光宿泊業から見た日本社会の未来 ―前編―

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観光まちづくり学部 教授 井門 隆夫

2024年5月15日更新

 インバウンド需要によって日本の宿泊業は安泰……とは、なかなかいかない。既に30年にもわたって、日本の宿泊業の大半を占める中小法人の労働生産性は上がらず、その行く末が懸念されている。

 そうした中小の宿泊業こそ、地域社会の要であるはずだと考えているのが、井門隆夫・観光まちづくり学部観光まちづくり学科教授だ。インタビューの前後編で語られていくのは宿泊業から見た日本社会の未来の話でもある。「資本(所有)」と「運営」を分離せよというリアリティに満ちた提案にまずは耳を傾けてみよう。

 

 現在、日本の宿泊業(法人)全体の94%が、資本金5000万円未満の中小企業です。さらには、宿泊業全体の60%を占めるのが、資本金1,000万円以下の小規模旅館業です。私が着目しているのは、そうした宿泊業の労働生産性=従業員1人あたりの付加価値です。

 ここでいう付加価値とは、人件費や営業利益、租税公課などの合計なのですが、中小の宿泊業においてはその労働生産性が1993年を境に下落していきました。一方、資本金5,000万円以上の大企業は労働生産性を伸ばしつづけています。

 地方の小規模旅館業では、もはや従業員を募集しても人がやってこないということも珍しくありません。さまざまな国からの外国人労働者の力を頼ってきましたが、来日される方々の出身国の移り変わりも激しく、いつまでやって来てくれるのか……というのが正直な状況です。根本的に労働生産性を上げなければ、国内外を問わず、働く人がいない産業になっていってしまうのではないかと危惧しています。

 もちろん、それはそれで仕方ないじゃないか、そもそも日本では生産年齢人口(15~64歳)が減少しているのだから、労働生産性の高い産業にシフトしていけばいいのではないか、という議論もあるかもしれません。しかし、中小の宿泊業というものは、そのように一概に切り捨てていいものではありません。なぜならば、そうした宿は、地方社会における“ハブ”(中核)を担っているからです。

 たとえばですが、地域の水源となっている保安林に実際に手を入れているのは、林野庁というより地元の方々です。里山として整備しているわけですが、そうした地域のなかで、中小の宿泊業は、里山のキノコや山菜をとり、宿泊するお客様に提供したり、加工して商品として売ったりしながら、クマやイノシシ、シカといった動物たちと人の暮らしのあいだのバッファゾーンとしての里山の姿を保ってきた、という側面があるんですね。

 そうした地域の宿泊業が地方から消滅してしまっては、里山が、いや地方全体が荒れ果てていく危険性は高まってしまうと、当の業者の方々も問題意識をもっているんです。つまり、中小の宿泊業は、地域の社会資本でもあるということなのです。

 では、なぜ日本の中小宿泊業では労働生産性が上がらないのか。その大きな問題点のひとつが、「資本(所有)」と「運営」が分離していない、ということです。

 宿の運営にあたって、小さな資本しかもっていないのに、大きな借り入れをしているというケースが、日本では多く見られます。そうした場合には法人として大きな担保がなければならないはずなのに、小資本の宿泊業になぜそんなことが可能なのか。

 それは、日本には個人保証制度があるからです。中小企業が金融機関から融資を受けるとき、経営者が連帯保証人になることができる制度でして、中小の宿泊業はこの制度のなかで経営者の個人保証、そして不動産を担保に借り入れをして、経営をおこなってきました。

 つまり、旅館などの経営者は、法人が借りている金額と近い額を、個人の金融資産で保証しなければならない、というわけです。

 ここで、歪みが生まれていきます。法人は赤字でも個人資産は黒字にしておかなくてはならなくなるのです。融資する金融機関としても、担保である個人資産が黒字ならばバランスが取れている格好となります。

 しかしそれは、法人における多額の役員報酬や経営者への不動産賃料といったものが発生しやすくなる、ということを意味する。支えていきたい宿泊業に対してはあまり良い例の出し方ではありませんが、たとえば法人としては赤字である旅館の社長が高級外車に乗っている、というケースさえ見受けられるのは、あれは担保だから、ということもあるのです。

 しかもこうした歪みは、現場を疲弊させていきます。従業員の人件費や営業利益を圧迫しやすく、つまりは労働生産性が低く抑えられてしまう構造的な要因があるのです。

 長期的な低迷に陥っている中小宿泊業の現状を変えていくには、ひとつにはこのように一緒くたになっている「資本(所有)」と「運営」を、分離させていく必要があります。

 実際に労働生産性を伸長させてきた大企業のなかには、資本にかんしては外資系の巨大金融グループと提携し、そのうえで運営を担って全国展開し、成功してきた法人があります。ここで言いたいのは、外資の導入をめぐる是非ということではなく、生産性を向上させうる構造をつくっていくべきだということです。

 ただ、個人保証制度をめぐっては近年徐々に改革が進んでいるものの、なにぶん民法改正に伴うルールの変更をしていく領域ですから、一朝一夕にすべてを変えていくという話にはなかなかなりません。

 制度の改革は引き続きの課題としつつ、宿泊業の現場では、どんな改革が可能なのか。私自身がかつて旅行会社に勤めていたときの経験や、実際に国内で進められている事例を取り上げながら、インタビューの後編で考えていきたいと思います。

 

 

井門 隆夫

研究分野

観光イノベーション、宿泊業経営研究、観光・ツーリズム

論文

小規模宿泊業の資本のあり方に関する研究(2024/03/26)

小規模宿泊業の社会的インパクトに関する考察(2022/12/28)

このページに対するお問い合せ先: 広報課

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