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「尊在感」づくり」(1) ~出会いの心、「コップの原理」~

おやごころ このおもい

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國學院大學名誉教授・法人特別参事 新富 康央

2022年10月10日更新

近くて遠い? 遠くて近い? そんな親の気持ちや大学生の子どもの気持ちを考えます。


今こそ、「尊在感」づくりを

国、文科省が今日問題にしているのは、子どもたちの「閉じた個」「自分への自信の喪失」です。私はそれを、「損在感」と総称しています。

それは、子どもたちの側から言えば、かつての「指示」ではなく、「支持」への要求とも言えます。自己否定の「損在」から、自己肯定の「尊在」への手立ての要求です。

自己向上に向けての「尊在」感無くして、「学び」の意欲はあり得ません。とりわけコロナ禍で引きこもり状態だった若者たちは、存在感を失う「損在」状態に置かれていました。彼らは今こそ、心の「手当て」を求めているのです。

人と人が「出会う」とは

第一には、「出会い」を手当てすることです。

ここで「出会い」とは、受け入れる(受容)という事だけでなく、そこから更に「尊敬、信頼、期待、友情など、新しい何かが生まれること」(創造)です。

事例を一つ挙げます。

私は毎年、6月には某作業所に学生を連れて田植えのボランティアに行っていました。主に、昼から近所の子どもたちを集めて行う田植えの邪魔になるアザミの花を刈り取る作業です。

お昼ご飯になりましたが、特別支援学校高等部を卒業したばかりのM子が居ません。暫くして、M子は、チクチクと痛いだろうに、私たちがせっかく遠くに廃棄したアザミの花を抱えて戻って来ました。そして、「きれいね、きれいね」と言いながら、一本ずつ花瓶に挿していくのです。

それを見て所長曰く、「これは優しいとかいう個人の性格の問題ではない。これは、役立つか否かと物でしか見ない健常者が忘れている、宇宙を包み込むような心の広さではないだろうか。いつも『ありがとう』と言わせてくれる」。

この時、所長はM子と出会ったのです。

「コップの原理」

親御さんも、こうした子どもたちとの「真の」出会いが求められます。そのためには逆説的な言い回しになりますが、親で頭が一杯にならないことです。言い換えれば、親を熱演する大根役者にならないことです。この対処法を、私は「コップの原理」と呼んでいます。

コップから別のコップに水を移す時、私たちはこぼれないように、水を八分目にして二分ほど空けておきます。「どうして」と叱責したい親心を2分ほど空けることで、相手(子ども)のコップも、対峙する反抗心を2分ほど空けて、少しは聞いてやろうかな、という気持ちになってくれます。

「カウンセリングの技法」

カウンセリングの「反射の技法」が、これに当たります。具体的には「ソネ」方式です。

「勉強なんかしたくない」。それに対して「何を言っているんだ」ではなく、「ソ、勉強なんかしたくないんだ、ネ」、と反射的に返す。そして最後に、カウンセリングの「支持の技法」。

「でも、勉強が嫌いだと言うのは、このままではいけないと思っているからなんだよね。」

中・高の先生方からは、この言葉を生徒に伝えると、勉強のスイッチが入ってくれること多々あると、謝辞を頂戴します。なかには涙ぐんだ生徒さんもいたとか。

「出会いとは空(くう)なり」

仏教界には「出会いとは、空(くう)なり」という言葉があるそうです。相手と対峙する際、心を空にして無の境地になることで、その全てを受け入れることができるというのです。

しかし、私たちは仏様と違って、心を空にすることはできません。そこで、心を2分だけでも空けて、秋の夜長に子どもに寄り添って対話してみてはどうでしょう。

次回(11月号)も、「尊在感づくり」について、ご一緒に考えてみましょう。実は、この「尊在感づくり」は、神道の子育てにもつながっているのです。

新富 康央(しんとみ やすひさ)

國學院大學名誉教授/法人参与・法人特別参事
人間開発学部初代学部長
専門:教育社会学・人間発達学

学報掲載コラム「おやごころ このおもい」第13回

 

 

 

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