最近、ジョイマンの姿を見かけませんか? ジョイマン、そう、「ありがとうオリゴ糖!」などの脱力系ラップで知られるお笑いコンビだ。ネタ担当の高木晋哉さんは、コトバの力によって、いったん落ちた底から這い上がってきた。一時は一発屋芸人と冷ややかな目で見られていた彼らを浮上させたコトバとはどんなものか、うかがいました。
哀愁漂うツイートを続けて
かつて、眠る暇もないほどの売れっ子だった。しかし、その勢いは少しずつ薄れていった。
高木晋哉さん、池谷和志さんのお笑いコンビ、「いきなり出てきてごーめーん、まことにすいまめーん、ナナナナー、ナナナナー、掛け布団50トン」や「ありがとうオリゴ糖!」といったラップネタ(いわゆるKREVAなどのラップとは似て非なるラップ)で大ブレイクした「ジョイマン」だ。高木さんの言葉を借りると「ジョイマンは2008年のショートネタブームのときに売れて、2010年に売れ終わりました」。
一発屋芸人と言われ、辛酸をなめた彼らだが、ある出来事をきっかけにふたたびスポットが当たり始める。2022年の今、2008年のような大ブレイクではないけれど、あちこちで彼らの活躍を目にするようになった。そして、その流れを作ってきたのは間違いなく「コトバ」の力なのである。その主戦場は、Twitter。
「Twitterを始めたのは、2010年頃です。ほかの芸人さんと楽屋で話していたとき『Twitterをやると仕事につながるみたい』という話が出て、じゃあやろう、というノリで始めました。当時は仕事が減っていたし、以前からブログを書いていたので書くことに抵抗はありませんでした」

「始めたばかりの2010年頃のツイートを見られると、日記を見られているみたいで恥ずかしいんです」
2010年当時、まだまだTwitterは広く知られていなかった。仲間の芸人たちは、徐々に発信をやめていった。しかし高木さんはずっとつぶやき続けていた。
開設当初の高木さんのツイートは、ラップを交えた明るい内容が多い。初日の投稿はこんな内容だ。
わわわ、チーモンチョーチュウ菊池さんの紹介で訳も分からず
Twitter始めたんです、よろしくです!
フォローミー お刺身 それではオヤスミ!
「確かに、始めた頃は『これを機にがんばろう‼』みたいな気持ちがあって、明るく張り切ってる感じがして、いま見ると恥ずかしすぎます」
とご本人も言う。それが、いつの頃からか言葉に切なさというか、なんともいえない哀愁が漂い始める。追っていくと、2012年ぐらいから、笑いを含みつつも哀愁や切なさが入り交じる投稿が増え始める。
「それは、2012年頃にますます仕事が減っていたからだと思います。2011年に東日本大震災があって、お笑いは不謹慎だというムードが世の中に漂い、減っていた仕事がさらに減りました。そういう不安な気持ちが文章に表れていたんだと思います」
Twitterであれなんであれ、人に向かって発信するとき、人間は誰しも本音をそのままぶちまけたりはしない。思いついたことや伝えたいことを“いい塩梅で”言葉にする。要は、みっともない部分は人には見せたくない。売れっ子芸人だった人なら、なおさらだろう。しかし、高木さんはカッコつけを捨てていった。
「安否確認活動」も始めた。ネットで自分の名前を検索するエゴサーチを、Twitter内で高木さんもやってみると、「ジョイマン 死んだ」「ジョイマン 消えた」といった投稿がぞろぞろ出てきたという。それに、高木さんは1つ1つ「ここにいるよ(ジョイマンはまだがんばっているよ)」と返信をし始めた。芸人本人からのリプライはTwitterユーザーの間でたちまち話題になり、リプライが欲しくて「ジョイマンどこ行った?」と投稿する人が激増。高木さんのリプライが間に合わず、現在、返信がつくまで数年待ちだという。
Twitterの暴言に、有名(だった)芸人自らが返信。これ自体もかなり哀愁が漂う感じがする。当時のTwitter投稿を見てみよう。
2013年3月6日
「ジョイマンは消えてしまった」と言う人がいる。
しかし、それは違う。目に見えていないだけでジョイマンは
君を取り囲むすべての物に宿っているのだから。
ほら、ここにいるよ」
静かな口調での自虐とも悲しみとも取れるツイート群は多くの人の共感を呼び、2013年には哲学的ポエム集『ななな』(晩聲社)の発行につながった。

高木さん初のポエム集『ななな』(晩聲社)。
「いや、(本は)全然売れませんでしたよ……」
と、高木さんは苦笑いするのだが、Amazonのレビューには、「泣けてきた」「心労が溜まったときに読みたい」「頑張ろうという気持ちになった」というコメントが並んでいる。

「『ななな』も『ここにいるよ』も、ラップのイメージから離れて読んでもらうことがなかなか難しいですね。文章として読んでもらいたいですね」と高木さん。
転機となった悲しき“サイン会0人事件”
そして2014年8月3日。とある場所でつぶやいたツイートが爆発的な大バズリになる。
町田モディ7階にてサイン会やっています。

これが「サイン会0人事件」のツイート。

「場の雰囲気に耐えきれず、イベンターの方に撮影してもらった写真です。ご本人も戸惑ってましたね。またあれがすごくいい写真で、あの画角と絵の広さ、僕らの表情、とくに相方の表情が良くて」
これが名高い「サイン会0人事件」である。長机にすわった高木さん、池谷さんが宙を見るような顔で座っている。
「もう当時テレビにもあまり出ていなかったし、いまの僕らがサイン会をやっても大丈夫かと心配だったので、イベンターの方に事前に『大丈夫ですか?』って聞いたんです。そうしたら『整理券50枚はけてますから、大丈夫ですよ!』というので、じゃあ……と行ってみたら、1時間経っても“0人しか”来なかった。
もうね、プライドもなにもないですよ。仮にも芸能人がサイン会やって、0人ってことがほんとうにあるんだろうか? と思いました。その時分かったんです。『あ、ここは芸能界の底なんだ』って。その状況が耐えられなくて、半分パニックでツイートしたんです」

「0人しか来なかった、という言い回しも、苦し紛れの抵抗です。誰も来なかったと言いたくなくて」
「いいね」数は、なんと1万。写真のあまりの切なさに、複数のネットニュースやスポーツ新聞などでも報道された。
「もちろん、脳裏にはかすめましたよ。『こんなことツイートしたら“そんなに人気がないんだ。じゃあ仕事頼むのやめよう”と業界の人に思われないかとか、芸人仲間が見たらどう思うだろう』とか……。でも、あまりの苦しさに、もう自分の中では抱えきれないから、いっそすべて見せてしまったほうがいいと頭が切り替わりましたね」
本音の強さ。あれだけ売れていたジョイマンをみんな忘れてしまっていた、その事実をさらけだしたことで「あー、ジョイマンっていたよね! えっ、いまこんな状況なの?」「応援する気持ちが2倍になった」「いまから行ってもいいですか」など、コメントは100以上に。
この後、切なさと哀愁はさらに研ぎ澄まされていく。
2014年9月19日
仕事のない日には、花を植えよう。
いつかこの世界が花でいっぱいになるのも
未来の子どもたちにとって、きっと悪くはないはずさ。
2017年11月20日のつぶやき。
「ジョイマン知ってるーってお友達いるかな?」
そう子どもたちに問いかけた後の沈黙が、
数時間たった今でも耳に張り付いている。
無愛想に通り過ぎていく木枯らしのざわめきすら
今の僕には優しく響く。温かな気配にふと足を止める。
落ち葉を踏みしめながら進むヘラジカの群れが、
冬の訪れを告げていた。
爆発的に売れて、転落して、芸能界の底を見た。だからこそ生まれた味わい、悲しみを知るツイートはしみる。サイン会0人事件以降、じわじわと増えていったフォロワーは、2022年夏現在、なんと33.1万人である。
「サイン会0人事件以降は『心の中に浮かんだことを日記みたいに書いていこう』と決めて、できるだけ毎日アップしています。まずTwitterの下書き機能にメモのようにわーっと書きます。このまま出すときもありますが、結構時間をかけて練ってから出すことも多いです。Twitterは最大140字という縛りがあるので、収まりきらない場合は投稿しないこともあります。削って削って文字合わせをするので苦労もしますが、楽しい作業でもあります。
結局、文章を書くのが好きなんですね。書いているときが、もしかしたら一番楽しいかもしれません。表に出てネタをやっているときよりも」
胸にしみるツイート。だが、高木さんのTwitterではもう1つ、重要な投稿がある。それはジョイマンの持ちネタであるラップネタだ。これが、言葉の掛け合わせの妙と、ちょっとした毒をまとって大人気なのである。
その内容や制作の裏話については、後編で!
高木晋哉(たかぎ・しんや)
1980年横浜市生まれ。2003年に池谷和志とお笑いコンビ「ジョイマン」結成。2008年ショートネタブームに乗って「爆笑レッドカーペット」など数多くの番組に出演、大人気を博す。しかし2010年頃に仕事が激減し、Twitterを開始。2014年8月に開催したサイン会でお客が0人という事態をツイートしたことがきっかけで注目され、ゆるやかな再ブレイクを果たす。2021年にはペプシのCMにファーストサマーウイカさんと共演したほか、数々のCMにも出演。2022年には文章も手掛け、数々のメディアでのコラム連載のほか、2022年には10年分のツイートを編集した『ここにいるよ ジョイマン・高木のツイート日記2010−2020』(ヨシモトブックス)を上梓。
Twitterアカウント @joymanjoyman
取材・文:有川美紀子 撮影:庄司直人 編集:篠宮奈々子(DECO) 企画制作:國學院大學
哀愁+笑い+韻=ジョイマン!?人の心を動かすラップの作り方(後編)