話題の尺八奏者・辻本好美さん。前編では尺八に向き合う辻本さんの姿勢についてお話をうかがった。後編では、活躍し続ける中で辻本さんが出会った挫折と、音を変えた大きな転機についてうかがいたい。
順風満帆な活躍の中で訪れた、衝撃的な挫折
尺八の新境地を拓く奏者として注目を集めている辻本好美さん。その活躍は前編でもご紹介したが、改めてざっと振り返ってみよう。
高校時代に尺八を吹き始め、おもしろさに魅せられて東京藝術大学音楽部邦楽科に進学。尺八の古典の流れをくむ琴古流を学び、在学中から演奏活動で注目を集める。卒業後も演奏活動に邁進し、平成27(2015)年にはNHKの海外向け番組「Blends」で演奏したマイケル・ジャクソンの『Smooth Criminal』の動画が世界中のSNSで拡散され、いわゆる“バズリ”となり広く知られるきっかけとなる。
翌年にSMEレコーズよりメジャーデビュー、Bamboo Flute Orchestra名義でファースト・アルバム『SHAKUHACHI』をリリース。平成30(2018)年には2枚めのアルバム「尺八Classic」をリリース、このときは4人の女性尺八奏者と合奏するスタイルで収録した。
日本国内のみならず、海外24か国での演奏や、テレビにもたびたび出演するなど活躍の幅を広げている。
こうして書き出してみると、まさに順風満帆な奏者人生を歩んできたかに見える辻本さんだが、これまでに、ある大きな挫折と転機があったという。
「もう『ズガーン‼』と頭を撃ち抜かれたぐらいのショックを受けました」
そう辻本さんが語るのは、平成26(2014)年、キューバでの演奏ツアー時のできごとだ。先輩の演奏家とともに、現地の演奏家とセッションしたときのこと。
「生まれてはじめて、手も足も出ないってこういうことかと思いました。リズムの取り方や踊り方がまったく違って、現地の方たちは“身体ごと音楽でできている”ような感じなんです。これまで舞台で音楽を奏で、お客様に見ていただいてきましたが、私はすごく狭い世界にいたんだ、音楽ってこういうものなんだと衝撃を受けました。一緒に演奏しながら、かなわない! と思いました。人生で挫折を味わう機会ってそんなにないと思いますが、これは本当に挫折の経験でした。でも、同時に『楽しい!』という気持ちもあったんです」
音楽に包まれるそのフィールドにいて、自分はできていないことを知ってしまったけれど、その場にいることが楽しくて楽しくて仕方がない。楽しさが肌から入ってくるようだった。
「ああ、私全然できてないけどめちゃくちゃ楽しい」
そのときに辻本さんは心から思った。
「音楽って、素晴らしい!」
この経験を経て、辻本さんの音は変わった。それまでは「プロになろう」とか「メジャーデビューしよう」というような明確な目標を目指していたというより、やってみたいこと、出してみたい音に導かれるようにして、ある意味、自然の流れに乗って活動していたが、キューバで音楽の持つ果てしないポテンシャルと出会ったことで、より深く楽しんで演奏できるようになったのだ。
『Smooth Criminal』の演奏で大ブレイクしたのはその翌年である。キューバでの経験が関係していたのかもしれない。
自然との対話が音を変えた
もう1つ「音が変わった」と思う経験があった。それは、大自然との出会いである。
「コロナ禍の前ですが、西表島へ行ったんです。マングローブの生えている川をSUP(Stand Up Paddleboard(スタンドアップパドルボード)の略称)を漕いで、今まで見たことがない視点で自然を眺めました。そのあと滝までトレッキングすることになって、原生林の中を歩いていたんです。その時突然、生きている喜びを強烈に感じたんです。『ああ、私、生きてる!』って。
きっと、SUPをしているときからもう心の中に『生きている』という気持ちがどんどんふくれてパンパンになっていて、原生林を歩いているときについに容量を超えてあふれ出たんだと思うんです。心が解放されたような経験でした。それから、意識的に自然にたくさん触れるようになって、音が変わりましたね」
それ以来、辻本さんは自然の中で尺八を吹くようになった。もともと自然豊かな和歌山で育っていて、故郷の自然の豊かさにも改めて気がついた。帰省したときに車を10分も走らせれば、ひと気がまったくない大自然に包まれることができる。そこで尺八に向き合い、音を出す。
「自然の中での音は、枠がなくなるんです。どんなにいい音響施設を持ったホールでも、建物という物理的な枠がありますよね。その中で『最近、いい音出せてるな、調子いいな』と思っても、自然の中で音を出すと……ああ、まだまだ、と思わせられます」
調子が悪いときは、自然の中で吹いて、気持ちをフラットに戻すという。
「自然の中で音を出すと、とても気持ちがいいですね。自分のキャパシティを広げてくれる気がします。和歌山に帰ったときは、熊野古道にも行きました。熊野古道には古い歴史がありますよね。吹いていると、歴史も感じられてくるんです。自然からはいつも、何かしらエネルギーをもらいます」
自然の中で吹くときは、ただ単純な音出しを繰り返すことが多いという。そうすることで、いつしか自然と一体になっていく。前編でも精神と音のチューニングのために、ただ一音を吹くことがあるという話があったが、自然の中で繰り返される一音の音出しは、まさに“一音成仏”の世界なのではないだろうか。
自分の演奏は聞く人の「きっかけ」でいい
辻本さんは、尺八を通して何をしたいかという問いに対し、インタビューなどでよく「尺八の素晴らしさを広めたい」「日本の伝統文化を知ってもらいたい」と答えている。
コロナ禍での2年の空白があったとはいえ、海外での演奏も積極的に行い、メジャーデビューも果たした今、そのゴールは近くまで来ているのではないかとも思える。では、次に目指す方向はどんなものなのだろうか。
「もともと“こうしたい”という目標を決めて動くタイプではなくて、コツコツと積み重ねていきたいんです。演奏する曲にもこだわりはないんです。○○じゃなきゃだめということはなく、古典でも、現代の曲でも、オリジナルでもなんでもいい。
ただ、尺八は日本の伝統、文化の中で生まれた楽器なので、私の演奏を通して、尺八や日本の伝統、文化を知ってもらいたい、日本の良さを発信していきたいという思いは強くあります。私自身、海外に出ることで改めて日本の伝統や文化の素晴らしさに気がつくことも多いし、日本人としてのアイデンティティを強く感じることがあるので、私の演奏を通してそれが伝わったらいいなと思っています。
だから、演奏を通して尺八そのものに興味を持っていただいてもうれしいし、日本の伝統や文化に興味を持ってくれてもいい。なにかそういう入り口になれればいいなと思っています」
そんな辻本さんが今、興味を持っているのは声明(しょうみょう/経文を朗唱する声楽)だという。
「普段の活動で演奏する曲は、どうしても自分の好きなものを選んでしまいがちなので、今まで知らなかった音楽にも挑戦したいと考えています。その中で興味があるのが声明です。声明って宇宙を感じますよね。コラボしたら、自分の世界も広がると思っているんです。宗派の違いなどもあるかもしれませんが、ルーツは尺八も声明もどちらも仏教。コラボする中でなにか化学反応のようなことが起きるかもしれませんし、同じだけど違うかもしれないし、混ざり合うかもしれない。その反応を見てみたいんです」
辻本さんの音楽を聞いていると、尺八は森羅万象に通じる精神性と広がりがあるものと感じられる。竹林に生えていた自然の竹に、演奏家の生の息を吹き込んで作り出す音は、機械にはない有機的な味わいとなり、無限に広がっていく。
これから辻本さんが展開する宇宙は、聴く人をどんな景色につれていってくれるのだろうか。期待は増すばかりである。
プロフィール
辻本好美(つじもと・よしみ)
1987年和歌山県生まれ。高校時代に尺八を演奏し始め、東京藝術大学音楽部邦楽科で学ぶ。2015年、NHKワールドで放送されたマイケル・ジャクソンの「Smooth Criminal」の演奏がネットで拡散され国内外で大きな話題となる。翌年Bamboo Flute Orchestra名義で「SHAKUHACHI」をSME レコーズよりリリース。海外での演奏公演も多く経験。2018年には2枚めのアルバム「尺八Classic」を4人の女性尺八奏者とコラボしてリリース。和洋様々な現代の音楽を演奏するほか、古典やオリジナル曲も手掛ける。
公式ホームページ
https://www.443tsujimoto.com/
Instagram
https://www.instagram.com/yoshimitsujimoto/
取材・文:有川美紀子 撮影:庄司直人 編集:篠宮奈々子(DECO) 企画制作:國學院大學
前ページへ
マイケル・ジャクソンからバッハまで! 尺八奏者・辻本好美の「一音成仏」への思い(前編)