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文化財を守るには教育しかない

奈良から世界へ。文化の未来を問う(後編)

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奈良国立博物館 館長 井上洋一さん(昭60修・93期博後史ほか)

2022年1月20日更新

 國學院大學の卒業生で、奈良国立博物館館長の井上洋一さんは、若き日のシリアでの発掘調査などを通じ、戦争の悲惨さや人間の愚かさ、平和の尊さなどを学んだ。不確実性が増す世界情勢の中で、多様性を認め合い、持続可能な社会を築いていくことはますます重要となっている。井上さんは「異なる価値観を持った人たちが作り上げた歴史を互いに認め合う文化を醸成するために、博物館が果たす役割は大きい」と話す。

【前編】学芸員は心を救うエッセンシャルワーカー

奈良国立博物館「なら仏像館」。明治27年(1894)に完成した、奈良で最初の本格的西洋建築で「旧帝国奈良博物館本館」として重要文化財に指定されている

 

――新型コロナは、海外の人々との絆も奪った

 新型コロナウイルスを負の遺産だけにしておくべきではない。世界中の人々の頑張りを次に生かすことが必要だと思っている。そのために、博物館が果たす役割は大きい。博物館は、日本の文化、歴史が脈々と続いていることを海外の人たちに理解してもらうためには最適の場所である。価値観の違う民族が作り上げた文化を共有することが、相互理解のためには近道だ。だからこそ、ダイバーシティ(多様性)という切り口で、歴史・文化を見る必要がある。

 博物館が海外展をやる意味もそこにある。文化外交の基本は「相手を知ること」という。その地域を知り、人を知り、社会を知ることから始まる。今の日本は、韓国や中国と政治的にはうまくいっているとは言えない。しかし、私たちの世界では、文化を通し、多くの友人たちとさまざまな情報を交わし、「コロナ禍が明けたら、展覧会でコラボしよう」などと相談している。アジアだけでなく、欧米の博物館とも、同じような相談をしている。コロナ禍で海外へ渡航できない、海外から観光客を迎えることができない状況の中で、それぞれの国の博物館が、自分たちと、自分たちの文化も見つめ、自分たちのコレクションを磨き上げてきたはずだ。コロナが明けて、コラボすれば、きっと素晴らしい展覧会ができると確信している。

――日本の文化財をどう生かし、繫ぐべきか

 文化財には人類の記憶が凝縮されている。現代の私たちが見るだけでなく、後世に伝えることで、文化財が持つ本当の意味を解明できるかもしれない。文化財を守っていくには、教育が大切だと思う。

 大学院時代からシリアで発掘調査をし、その後も保存修復にも関わった遺跡やさまざまな文化財が、過激派組織イスラム国(IS)やトルコ軍に破壊され、大きなショックを受けた。貧困問題や大きく異なるイデオロギーの問題が紛争の引き金となり、こうした蛮行に至ったのかもしれないが、その問題解決にも教育の力が必要不可欠だ。文化財を守る意識を植え付けるのは難しいが、家庭教育がしっかりしていれば、文化財を攻撃するような感情は育たないはず。おじいちゃん、おばあちゃんが仏壇に手を合わせている後ろ姿を見つめ続けた子どもたちが、仏壇に向かって石をぶつけるようなことはしない。墓参りで、家族が線香をともし、涙を流して祈っている姿を見ていれば、墓石を壊すようなことはしないだろう。そうした感情面での刷り込みが文化財を守る心を育んでいく。今は仏壇がある家庭も少なくなっているので、学校で文化財の大切さを教える取り組みを強めていく必要がある。

――研究者を志したきっかけは

 この道に入ったきっかけは、中学3年生の夏休みに、社会科の先生が発掘に連れて行ってくれたことだ。その時、土器や石器がたくさん出て、わくわくした。縄文時代の竪穴住居跡で、中央に炉があって、真っ赤に焼けた土も出てきた。その場に座り、5000年前の人間がこの場所に住んでいたのかと思いをはせた。タイムマシンで縄文時代のムラを訪れた気持ちになり、考古学者になりたいなと思った。

 将来の進路を決定づけたのは、大学院生の時に経験したシリアでの発掘調査だった。昭和57年当時のシリアは、内戦が終わり、民主化の道を歩もうとしていたが、街を支配していたのは軍だった。飛行機のタラップを降りると銃剣を向けられ、荷物を破られて検査を受けた。最先端の古代文明を誇った街が、戦乱で衰退してしまった姿を見て、何とも言えない気持ちになった。人間とは何だ、豊かさとは何だろうと考えた。アッラーのみが唯一の神であり、彼に比べ得るものは何もないという敬虔なイスラム教徒との問答の中で、いろんな世界があることを学び、文化とは何か、歴史とは何かをもっと突き詰めたいと思うようになった。

――若い世代へのメッセージは

 「定説を疑え」と言う言葉は、考古学を学ぶためには重要な考え方だ。考古学は、わからないモノが出てきて、それをわかろうとするために、さまざまな方向からモノを見て、そして考える。人間を見るときも、その人の一面を見ただけでは、その人を理解したことにはならないのと同じだ。

 定説を学ぶだけでは、考古学の面白さは半減する。私が修士論文を書いた時、主任教授の考え方と真っ向からぶつかる内容だった。最初は周囲の先生方も心配していたが、自分の思いを話すうちに応援してくれて、最後は主任教授にも認めていただいた。

 もちろん、定説を疑うためには、どこが疑わしいのか、なぜそう思うのかを自分の言葉で述べられるように、史実をしっかりと研究しておくことが前提となる。最初から、思い込みだけで事を起こすのではなく、広い視野に立って、物事を見ることは考古学以外にも通用する姿勢だ。多角的な視野で物事を見て、柔軟に考えられる人間になってもらいたい。


いのうえ・よういち 國學院大學文学部卒業後、同大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得。昭和60(1985)年、東京国立博物館(東博)に入り、九州国立博物館学芸部長、東博学芸企画部長、東博副館長などを歴任。令和3年4月、奈良国立博物館長に就任。日本考古学が専門で、日本の青銅器文化の研究などを行っている。日本ユネスコ国内委員会委員、ICOM日本委員会理事として、文化財保護や博物館活動に参画している。本学大学院兼任講師。神奈川県相模原市出身。

 

 

 

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