感染リスクをきちんと避けながら、宗教者にできることを模索する――新型コロナウイルス感染症が流行した後の世界では、国内外においてさまざまな試みが行われています。
たとえば京都の祇園祭は、古くは貞観年間(859~877)、疫病退散のために行われたのが発祥とされています。だからこそ、普段通りの開催は難しい現状においても、大きな意義は持っていると判断したのでしょう。この7月に、きっちりと神事だけは執り行い、名物である山鉾巡行は、現地大学の研究機関の特別サイトで「バーチャル山鉾巡行」の動画を配信するといった形を工夫して催されました。関連して6月には八坂神社と神泉苑の合同で、往時行われていた「祇園御霊会(ごりょうえ)」を再現され、新型コロナウイルス感染症の早期終息と国家安寧が祈願されています。
オンラインでの中継という例も多くあります。たとえば例年5月に行われる神田神社(通称・神田明神)の「神田祭」は、今年は5月15日に神事(例大祭)だけを執り行い、YouTube生中継が行われました(アーカイブ動画「令和2年 神田神社 例大祭」(江戸総鎮守 神田明神 公式チャンネル -KANDAMYOUJIN-))。また奈良・東大寺の大仏殿も、直接の拝観は中止されてしまいましたが、4月下旬から5月末までニコニコ生放送で、大仏の定点生中継が行われ、いつでも「リモート参拝」ができるようにされていました。
宗教間の連携もあわせての動きとしては、公益財団法人世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会という団体が、毎週水曜日の午後1時から「祈りをつなぐ水曜日」という、各地の宗教者をつなぎ、共に祈るオンライン配信を行っています(アーカイブ動画「【2020年6月10日】WCRP祈りをつなぐ水曜日」(世界宗教者平和会議WCRP日本委員会))。神道、仏教、キリスト教、イスラム教など、さまざまな信仰を持つ方々が登場しています。
このように、オンラインでさまざまな試行もなされているんですね。
もっとも流行初期においては、宗教界でも大きな混乱も見られました。たとえば海外で、イスラム圏のモスクや韓国の教会に人々が集い、感染クラスターが発生してしまったことは、大きく報道されたのでご存じの方も多いでしょう。以来、各国政府が規制や自粛呼びかけを行っていましたが、令和2(2020)年4月7日、WHO(世界保健機関)により、宗教指導者と信仰共同体に向けて、新型コロナウイルス感染症にまつわる留意事項が発表されました。
科学的な知識に基づきながら宗教的なリーダーたちが率先して、人々に感染リスクへの対策をするよう呼びかけてほしい、としています。また、たとえばキリスト教における聖体拝領は、食物を口に運ぶのでやめてほしい、といった具体的な内容も含んでいます。
こうした流れの中で、宗教界でだんだんと、新型コロナウイルスの感染リスクに対してきちんと科学的に対処するという意識が広まっていったと思います。その上で宗教者たちは、自分たちに何ができるのか探り続けています。何よりも、人々が集まって一緒に場を共有しながら支え合うという、宗教が常としていた活動や意義が制限されてしまっている。さらには葬儀においては、亡くなられた方にご遺族が触れられない。そうした大きな変化を受け止めながら、宗教の可能性を模索しているわけです。
とにかく一心に祈る、という原点に立ち返る宗教者もいれば、先ほど申し上げたように、オンラインでの可能性を探る宗教者もいる。また、コロナ禍の前から継続的に、社会的に弱い立場の人たちへの支援を行ってきた宗教者は、その活動をどうやって継続させるのかを考えています。
たとえば、日本に滞在しているベトナムからの留学生や技能実習生の方々へ、支援を続けてきた仏教者の方たちがいます。ベトナムも仏教国であるからこそのつながりなのですが、こうして日本に来ている人たちは、母国にも帰れず、かといってアルバイトなどの仕事もなくなってしまうような状況にある。そこで仏教者たちが、SNSなどを通じて物資や食料を集め、彼らを支えようとしています。
他にも、こんな例があります。この3月2日から、日本全国の小中高といった学校に対して、一斉の臨時休校が要請されたことは、記憶に新しい方も多いかと思います。子供たちは、ずっと家にこもり続けなければならない状況にありました。そこでさまざまな寺社で、感染対策をとりつつ、寺子屋のような形で学習スペースを設けるという取り組みが行われました。これも、弱い立場の人たちへの支援活動として捉えられるでしょう。
しかし、依然として厳しい状況であることは変わりありません。何より、祭りや法要など、伝統的・習慣的に人々が集まってきた機会が失われてしまっています。
祭りでしたら、たとえば神輿をかつぎ、汗をかきながら触れ合って、終われば直会(なおらい)と呼ばれる宴で歓談する。そこで少し日常から離れ、気持ちが新たになる。葬儀や法要にしても、悲しみを共有したり、仏による救いをイメージできたりする。けれども今は、これらを行うことが非常に難しいわけです。
ただでさえ地方の過疎化などの影響で、お祭りだったら神輿の担ぎ手が少なくなったり、実家の菩提寺に親戚が集まる習慣がなくなって法要が簡素化されたり、といった流れがありました。そこに今回のコロナ禍です。この“場”の喪失だけは、なかなかオンラインでも埋められるものではありません。
模索が続く中で思い出されることもあります。それは平成23(2011)年、東日本大震災が発生して以降の、宗教者たちのさまざまな取り組みです。インタビュー後編では、今回のコロナ禍でも取り組まれつつある、「傾聴」というスピリチュアルケアなどを考えていきたいと思います。
黒﨑 浩行
研究分野
宗教学、宗教社会学、地域社会と神社神道、宗教と情報・コミュニケーション
論文
災害後の集落再編過程に見られる祭礼文化の包摂性(2021/02/14)
超高齢社会の到来と神社に関する意識への影響(2018/06/30)
このページに対するお問い合せ先: 広報課