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歴史好きなら、図書館史はとても面白い!

新藤透・文学部准教授 (前編)

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文学部准教授 新藤 透

2020年2月13日更新

   
 戦国時代をはじめとして、またも歴史ブームが再燃している。さて、そうした知識を得たいときに、足を運ぶ場所とはどこだろう。そのひとつに、図書館があることは間違いない。 
 そして実は図書館史こそ、歴史好きのハートを揺さぶる面白さに満ちている。
 昨年、『図書館の日本史』(勉誠出版)という労著を上梓した新藤透・文学部准教授は、日本の古代から現代までを見渡し、「図書館」の潮流に連なる事例を渉猟、ひとつの通史としての図書館史を書き上げた。インタビューの前編ではまず、なぜ図書館史なのか、さらにはその魅力を存分に語ってもらった。
 

 
 従来の図書館史研究でイメージされている図書館というものは、一言でいえば建物のことでした。図書館の前身とされている「文庫」という建物がまずあって、その制度や組織を中心に研究が進められてきたのです。図書館という存在だけを時代からスポッと取り出して、時系列で並べていく、という向きが強かったのは事実です。

 古代から現代まで、政治体制も、経済や社会、風俗まで時代時代でさまざまな変化があったはずなのですが、そのあたりがあまり関係づけられずに図書館が語られ、時代から浮いてしまっていたのですね。シンプルな変遷は追うことができますが、日本史の流れの中にきちんと図書館を位置づける、ということは長らくなされていませんでした。

 図書館の変遷をきちんと日本史の文脈の中に位置づけたい――。これが、日本史の研究者でもある私が図書館史研究を始めた、大きな動機のひとつでした。
 また単純にかつて図書館史は、専門外である一般の読者、たとえば歴史好きの方が読んでも、正直あまり面白みはないものであったと思います。図書館史をまとめた教科書はいくつかありましたが、それらは共著であることが多く、ひとりの著者が通史として、ひとつの観点のもとに図書館史を見渡すような歴史本はほとんどなかった。
さらにこれは記事の後編での論点にもなりますが、現代の図書館にもつながるような「情報」や「コミュニケーション」の拠点としての図書館、という視点が、これまで抜け落ちていたのです。

 たとえば江戸期の村落には、幕府や藩が設けた文庫ではなく、庄屋などが個人的な蔵書を村人に貸し出していた事例があります。日本史の先行研究で「蔵書の家」と呼ばれてきたものです。また、都市部では町人が蔵書を開放したり、資金を一般に募って公開型の文庫を整備する事例が確認できます。後者は、国学者・羽田野敬雄が設立した「羽田八幡宮文庫」が代表的なものですね。ただ、これらも図書館と結びつけて語られることはあまりありませんでした。羽田八幡宮文庫は若干言及されてはいましたが。そんなに詳しくはありませんでした。
 さらに戦国時代へさかのぼれば、公家同士、あるいは公家と戦国大名が本の貸し借りをしていたことが、公家の日記からわかってきています。地方の戦国大名という存在は出自、つまり身分が相対的に低いものですから、領国を統治する正統性をアピールするためには天皇や足利将軍の権威を借りなければならなかったのですが、そのために公家からの援助が必要だったのです。
 しかし、和歌などの素養がなければ、ならず者だとして公家は相手にしてくれない。だからこそ戦国大名たちは本を求め、公家と接触を図って借りていたわけですね。
 これらも、私の視点から見てみれば、非常に図書館的な事例ですし、歴史好きの読者の方が読んでも面白いものだと思います。戦国大名というと、合戦であるとか、あるいは政治史を切り口にした歴史本は多いのですが、彼らに文化史的な面から光を当てる一般書というものはあまりありませんでした。

 こうした事例を図書館史として組み込みながら、古代から現代までの『図書館の日本史』を、通史として書いていったのです。もちろん私の力不足の点はあり、各時代や分野のご専門の方からご指摘をいただくこともあったのですが、一般の読者の方には喜んでいただけているようで、とても嬉しく思っています。
 私自身も通史を書くことによって改めて流れが見えてきて、その上でもともとの専門である近世を中心に、各時代のことを考えていきたいと思っています。
 たとえば江戸時代、国学者の本居宣長も、広い意味での図書館のような施設をつくろうと計画を立てていました。彼の生前は実現しませんでしたが、平田篤胤の直弟子――平田が本居の弟子ですから、本居から数えれば孫弟子にあたる羽田野が設立したのが、先述した羽田八幡宮文庫なのです。
 また国学者のみならず、儒学者の荻生徂徠も、広く公開された図書館を所望していました。彼が著した『政談』にも、その旨がはっきり書かれています。幕府の書庫に収められている書籍は、儒者の希望に応じて貸し出してほしい、と。さらには「御庫ニ聚メ置レテモ、見ル人無レバ、反故ヲ詰置タルモ同前也。虫ニ食セテ捨ンハ惜キ事甚シ」――書庫に集めておかれた本を虫に食わせておくのは惜しい、とは痛烈な批判ですね。
幕府に優遇されていた人物であるにもかかわらず、このようなことを述べるというのは、貴重な本が秘蔵されていて見せてもらえないフラストレーションが相当あったことと見受けられます。そしてこの流れは、明治の世にも引き継がれる。1872(明治5)年、後の帝国図書館につながる「書籍(しょじゃく)館」の設立建白書をしたためた文部省の官吏・市川清流も、かつての幕府を批判し、未来の日本のためにも広く本を公開する図書館をつくるべきだ、といっているのです。
 現在のような公開図書館の源流として、これらの事例はもっと高く評価されていいと考えています。日本史では語られるのですが、図書館史に組み込みたい。そんな関心を今、私は抱いているところです。
記事の後編では、「情報」や「コミュニケーション」の拠点としての現在の図書館と未来を考えてみたいと思います。

 

 

 

 

新藤 透

研究分野

図書館情報学

論文

室町末期に於ける公家が果たした「図書館」的機能について―山科言国を中心に―(2024/03/01)

『長野県中央図書館報』にみられる日中戦争下の文庫活動について:時局文庫を中心に(2024/01/31)

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