「家庭教育は、親子の対話から」という標語が、家庭教育講座などで盛んに使われています。しかし、その言葉の「真の」意味がどれだけ伝わっているでしょうか。「個食時代」という言葉が叫ばれる中で、「一家だんらん」という言葉が死語になりかけています。「一家だんらん」の復活への願いが、この標語には込められています。しかし、それ以上に「家族」のあり方の根本を問う深い意味が、この標語には込められていると言えます。
「家族とは」と問われれば、皆さんは、何と答えるでしょうか。「くつろげる場所」「何でも言える場所」「癒やされる場所」などの答えが返ってくるでしょう。しかし、「家族」とは一言で言えば、社会のいろいろな集団の中でも、最も壊れやすい「ガラスの城」なのです。私は、「家族」を次のように定義します。
「性(男と女)と世代(親と子)を異にする、互いにわかり合いにくい異質者の結合集団。しかも、その異質性ゆえに、結合の意味や根拠のある特異な集団」
家族は、確かに男女と親子で成り立っています。男子と女子の関係は、互いに考え方やものの受け取り方を異にする者同士です。その未知性ゆえに、恋愛感情が起きるとも言えます。考え方やものの受け取り方が同一化すれば、それはもう恋愛感情から友情へと様変わりします。
また、親と子の関係は、すねをかじられる者(親)とかじる者(子ども)という立場を異にする関係です。「親離れ子離れ」、心の「離乳」などが大切な関係です。
つまり、家族という社会集団の特徴は、もろくて壊れやすい「ガラスの城」なのです。また、それゆえに結合の意味のある集団でもあるのです。
しかし、嬉しいことに、社会では一般に「家族」と言えば、安心して全人格をあらわにすることのできる、安らぎや癒やしの場と考えられています。本来は壊れやすい異質性であるはずの家族が、実際には、互いに理解し合える同質性の集団ととらえられています。なぜでしょう。
実は、この異質性であるはずの集団を同質性にしているもの、それが、「親子の対話」、「一家だんらん」なのです。
家族間の親子の同質性は、始めからあるのではなく、親と子の対話の結果、「獲得される」ものなのです。
対話が難しい家庭環境もあります。ですが、対話によって同質性を、少しでも「獲得」しようと努力する姿勢が大切です。
「親業」という言葉があります。親も、親という業務を果たすための専門的技能が必要ではないか、という考え方です。しかし、難しく「親業」を考えることはないでしょう。まずは、「会話でお腹をいっぱいにする食卓」を心がけることです。