去る3月19日(日)に行われた神道文化学部学位授与式において、卒業生の二宮昌世さんに神道文化学部長賞が授与されました。
二宮昌世さんは、学部恒例「『古事記』アート」において、その熟達した画力を示したことにより、学部長から「観月祭」及び「成人加冠式」の絵図制作を依頼されることとなりました。
完成した作品は、鳥瞰的アングルの醍醐味、精緻を極めた細部の描写、ユーモアと滋味の漂う画風によって特徴付けられるものです。
そもそも「成人加冠式」も「観月祭」も、学生たちの「手作り」の行事です。
それと同じように、二宮さんの作品もペンと色鉛筆を用いた心尽くしの「手作りアート」です。
写真やCGでは決して伝わらない、「手作り」ならではの温もりと「ほのぼの感」…
そこには、学部の「こころ」そのものが、暖かく息づいているのではないでしょうか。
二宮さんは、制作者メッセージで次のように述べています。
「今回の企画に…導かれた不思議な力、観月祭に関係するすべての方々との見えないご縁のようなものが有り難く、感謝と畏怖の念を感じております」
先般のファトアルバムに続き、本学ならではの愉しい祭礼絵巻が誕生するに至りました。
観月祭や加冠式を担った学生諸君への何よりの贈り物であると共に、大学広報・学部広報の好個のツールとして、その活用が期待されるところです。
二宮さんの受賞メッセージを、その在学中の作品と共に紹介しましょう。
神道文化学部長賞受賞の辞―学士入学のすすめ―
125期神道文化学部卒業生 二宮昌世
私は美術大学を出てから30年ほどデザイン事務所に勤めてのち早期退職し、神道文化学部3年次に編入学しました。
その動機は、デザイン界でしばしば大事なものとして言及される「日本の伝統」とはいったい何なのか、勝手な私感が横行しているだけではないか、という疑問・疑惑を、自分なりに少しでも解いてみたいということでした。
せっかくなので神職資格も得ると決めて、まことに充実した2年間を過ごすことができたと思います。
ただ私の場合、近年のデザイン業務の管理面において、自らの限界を感じてドロップアウトした、というのが実情です。
特に前職の後半は、長期的なビジョン不在のまま、短期的に見栄えのする効果ばかりを安値で求められることに対抗し得る、流行ではなく不易に関する知的ストックが、デザイナーの側に決定的に不足していることを痛感する毎日でした。
それは仕事をしながら少々本を読んだり、単発セミナーで勉強するくらいでは、やはり到底追いつかないのです。
2年間の学びで、当初の疑問について何か人に教授できるようなレベルになったわけではありませんが、『古事記』や『日本書紀』を一行づつ丹念に読んでいくような作業が、私にはとても新鮮かつ刺激的な体験で、それだけでも神道文化学部に在籍して良かったと思えます。
日本の美術や音楽についても無知あるいは知ったかぶりだったところを随分と矯正することもできました。自分の中に空いていた「穴」が少しづつですが、埋まりつつあるような気がしています。
さらに武田先生のお引き立てにより、学内行事の手描きイラスト制作の機会をいただき、またそのことで学部長賞をお受けすることになったのは、まことに有難く恐縮の極みです。
「日本の伝統」に基づく行事の、若い人たちの現場を取材できたことだけでも貴重な経験になりましたし、写真やCGでは伝わらないことが少しは表現できたことも喜びです。
拙作ながら自分の在学の足跡を大学に残せる栄誉に深く感謝いたします。
社会人を10年以上経験して、何か知的に気がかりなことが毎日を苦しくしている場合は、体力が残っているうちに思い切ってもう一度大学に入り直して、体系的な学びを自覚的に再体験すること、今の若い人と同じ身分になって、その熱量をリアルに感じてみることを強くお勧めしたいと、私は思います。