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オール度島のまちづくりで暮らしやすい離島に

神社と地域の未来を考える【前編】

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長崎県平戸市度島町集落支援員・度島神社禰宜 森 健司さん(平26卒・122期神文)

2021年4月21日更新

 今、世界は「コロナ禍」に直面していますが、「新たな日常」を求める私たちは何を拠り所とすればよいのでしょう。そんな時代に活躍される方々は、今後10年をどのように眺めているのか? 長崎県平戸市に属する離島・度島(たくしま)の出身で、國學院大學の別科と神道文化学部で学んだ度島神社禰宜(ねぎ)の森健司さん(平26卒・122期神文)は、人口700人にも満たない過疎の島で「度島地区まちづくり運営協議会」の一員として活動し、島に縁のある人すべてを巻き込んで島民のかゆいところに手が届く地域社会、誰も取り残されない度島の実現を目指しています。

もり・たけし 長崎県平戸市度島町出身。平成17年、國學院大學別科2類を修了し東京・亀戸天神社に奉職。同大神道文化学部を卒業した26年に故郷へ戻り、度島神社などの神職を勤めるとともに平戸市集落支援員(嘱託)、特定非営利活動法人度島地区まちづくり運営協議会事務局員としても活動。

――度島のまちづくりについて

 度島の一般家庭に生まれ、後継者不在が現実的となった島の神社と神楽の担い手として見込まれて國學院大學に進みました。別科で神職資格を取得して亀戸天神社に奉職し、さらに神道文化学部で学びを深め、平成26年が30歳になる年で、大学の卒業年でもあったので「別の世界も見てみたい」と東京から故郷に戻りました。度島神社の禰宜と兼任で平戸市嘱託職員の集落支援員となり、同時期に始動した「度島地区まちづくり運営協議会」のメンバーとなりました。

 平戸市の交付金で活動する協議会ですが、行政とは違う視点で「島を住みやすい場所に」というスタンスで運営し、地域活動は全島民に呼び掛けています。協議会ができてから過疎・高齢化といった島の実情に目が向くようになり、島民自らが声を上げて課題解決に取り組んでいます。

島民の交流の拠点となる「度島交流会館」は令和3年4月に完成したばかり

 東京に長く暮らした私にしても、「コンビニエンスストアがないから不便」と思うことはあっても、島を出たいとは思いません。「世間が狭い」ことでプライベートの部分に踏み込まれることに抵抗を感じる人が増えています。清掃活動などの地域ぐるみの取り組みに参加しないと「なんで来なかった?」と問われてしまうことが嫌なのです。物理的な不足は我慢できても精神的なプレッシャーに耐えられずに島を出ていく人が多いと感じています。島にいることでマイナスと感じることよりもプラスと感じられることを増やさなければいけませんね。

――具体的な活動は

 現在は島外の関係者と島民を繫ぐことに注力しています。例えば「度島応援倶楽部」といった組織を作って頑張っている島の現状を発信するのです。そうすれば、島を出た人も「手伝いたい」と思ってくれるでしょう。それが資金援助に繫がれば、その中から費用を支出して島に残る親世代の介護や生活介助を充実できます。もう一つ、地域活動を委託する「度島プラチナ人材センター」構想もあります。2つのシステムをうまく活用すれば島に残る高齢者の負担が減りますし、活動できる高齢者のマンパワーを生かす場もできます。さらに、帰省をサポートする仕組みも作って島外の人に還元できれば、島外にいても島に暮らすのと同じ感覚で島を支えられる「オール度島」のシステムとなり、まちづくりも身近なものになるはずです。

島内にある44の「字(あざ)」をピースにした「度島パズル」を製作。購入はまちづくり協議会へ。

――若者を生かす取り組みは

 島の未来を若者自身に考えてもらうため、高校進学などで島を出る前の中学生を対象に「たくしま塾」を開催しました。「中学生はこんなものだろう」というありきたりなイメージを抱いていましたが、予想を大きく上回る発想力や島を思う気持ちに驚かされました。大人なら「集客できなきゃだめ」と思うところを「海があるなら水族館ができる」という子がいました。大人は端から「無理だ」と思い込んでいるだけだと気づかせてくれたのです。そういった柔軟な発想力に島の未来を感じました。

 平成27年度の塾に参加した1期生がこの春、高校卒業という人生の岐路を迎えました。その中に「度島にお菓子の店を開きたいから、島外の専門学校に進む」という子がおり、塾の活動を通じて「度島はいい島だ」という思いを心の隅に根付かせてくれたようです。塾の成果をじんわりと受け止めています。


度島 長崎県平戸市に属する島。東西3.5㎞、南北1㎞で平戸島の北4㎞に位置し、主な産業は農業と漁業。今年3月時点の人口は659(男333、女326)人。キリシタン関連遺跡が多く残る。

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