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長野県佐久穂町に教育移住者が増え続けるワケ。子どもたちの未来は、大人たち、町の未来へとつながる【前編】

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2025年6月23日更新

 「イエナプラン教育」と呼ばれる教育コンセプトがある。一人ひとりの個性を尊重しながら、自立と共生を学ぶオープンモデルの教育方法だ。

 長野県佐久穂町にある大日向小学校・中学校は、平成31(2019)年4月、日本イエナプラン教育協会より、日本初のイエナプランスクールと認定され、開校した。今、この町は、新しい教育の形を求めて、移住を決断する人が続々と増えている。

 なぜ、移住をしてまでこの地を選んだのか。そして、移住者が増えることで町にはどのような変化があらわれているのか。大日向小学校・中学校の未来は、佐久穂町の未来。人、町、学校、それぞれの視座をレポートする。

 

 近年、教育移住という言葉が注目を集めている。文字通り、子どもの教育環境を求めて、他の場所に移り住むことだ。

 かつては、英語や国際感覚を養わせる国外への教育移住が一般的だったが、コロナ禍によるライフスタイルの変化もあり、最近では自然豊かな国内の郊外、あるいは田園へと居を移す人が増えている。

 千葉県千葉市で暮らしていた内村智子さんも、その一人だ。

 「当時は子ども3人と夫と私、5人でマンションに住んでいました。のびのびした子育てをしたいという思いを持っていたのですが、仕事と育児の両立がうまくできず、気が付くとイライラママに変貌していました(苦笑)。これって、私たちが望んでいた生活じゃないよねって思うようになったんです」

千葉市から佐久市へ移住した内村さん。現在は、子どもが一人増え、4人の子どもを育てている

 生活環境を変えるため、千葉市周辺で中古の戸建てを探してみた。だが、ピンとくるものはない。考えあぐねる中で、長野県佐久穂町に新しい教育を提案する学校ができることを知った。

 「夫と私の友人が、その学校の設立にかかわっていました。別の友人は子どもを入学させるために東京から長野県へ移住してしまったんです。そういう選択もあるのかと、目からウロコでした」(内村さん)

 内村さんは、将来のキャリア形成、ワークライフバランスに悩む中でコーチングと出会い、平成29(2017)年に資格を取得した。ライフステージが変わっても人生を自由にデザインできる女性を増やすべく、コーチングでサポートする仕事をしている。「ここなら子どもにとっても、自分たちにとっても、より良い環境になりえるのではないか」。友人の後を追うように、長女が小学校にあがるのを機に、令和2(2020)年、佐久穂町と隣接する長野県佐久市へ移住した。

 内村さんは、千葉市の教育に対して特に不満はなかったと話す。だが、

 「子どもが年長になった頃から、周りの親御さんたちとの話の中で、『学習塾はどうする』といった話が増えました。子どもが望む、望まないにかかわらず、親たちの考えによって強制的に習い事や学習塾に行かせること、遊びや余白の時間がどんどん少なくなること……本当に私はこういう育て方をしたいのかって、モヤっとしたところがありました」(内村さん)

 学校で学ぶことだけが教育ではないだろう。子どもを取り巻く環境も、大なり小なり彼ら彼女らに学びとして影響を与える。私たちが想像しているより、エデュケーションは複雑だ。

 内村さんが、移住を決断する大きな要因となった新しい教育を提案する学校――、大日向小学校・中学校(以下、大日向小学校)は、平成31(2019)年4月に開校した日本初のイエナプラン教育を掲げる学校だ。イエナプランとは、一人ひとりの個性を尊重しながら、自立と共生を学ぶオープンモデルの教育のこと。近年、ここ日本でもインクルーシブ教育をはじめ、多様性を尊重する教育が叫ばれているが、イエナプラン教育は1924年にドイツで発祥し、オランダで発展した伝統ある教育コンセプトだ。

 大日向小学校が、どのような教育をしているかについては後編で詳しく説明する。

 その前に触れておくべきは、大日向小学校に在籍する生徒の約8割が県外から移住してきた家族ということだろう。佐久穂町の中心地とも言える東町商店街周辺を歩くと、妙な活気を感じる。カフェやジュエリー工房、ゲストハウスなど新しいお店が次々と誕生しているのだ。

東町商店街周辺は、レトロな街並みをいかしつつ、新しいお店が増えている

 話を聞けば、そのほとんどは大日向小学校に子どもを入学させるために移住してきた新住民が手掛けるお店だという。今、内村さんに話を伺っているカフェ「potta(ポッタ)」の息子さんも、大日向小学校に通っているそうだ。

 移住は、人生における一大イベントだ。

 「体力的にも経済的にもコストがかかることを実感しました。でも、ここには移住という大きなライフイベントを決断した人たちが集まっている。何かをするとき、誰かがサポートを求めているとき、応援してくれる人がとても多いんですね。エネルギーが循環していると感じるんです」

 生まれたばかりの息子さんをあやしながら、内村さんが優しく笑う。

 「環境が変わるわけですから、何度も下見をするなど自分がこの町でどう生活していくのかイメージを膨らませるようにしていました。私は個人事業主として仕事をしているので、あまり場所にこだわる必要はなかったのですが、夫は会社員でした。いろいろなことを模索しながら約1年かけて移住しました」(内村さん)

「potta」は、看板メニューのガレットをはじめ、その味を求めて町外からたくさんの人が来店する人気店に。東町商店街は、移住者によって活気がよみがえりつつある

 内村さんが移住した直後、日本はコロナ禍へと突入する。リモートワークが定着したことで、「夫の働き方に変化が生じました。また、地域で生まれたご縁から、こちらでもお仕事をいただくようになり、独立。令和2(2022)年に夫婦で会社を設立しました」と話すように、やりながら物事が流転していくことは往々にしてある。

 「私たちは教育に重点を置いて移住先を決めました。自分たちが何を求めて移住するのか、目的や価値観ときちんと向き合うことは、とても大切なことだと思います。あれもこれもと求めると、いつまで経っても腰はあがらない(笑)。これだけは譲れない、そうした視点があると移住先が絞られてくる。ブレずにすみますよね」(内村さん)

 そして、「100%を求めないこと」だと続ける。

 「移住=理想郷ではないんですよね。都会には都会の良さがありますから、移住先に来れば失うものもあります。青い鳥を探し続けると、違うところで疲弊してしまう。自分たちが選択した今いる場所で、精一杯、何をするか」(内村さん)

 

ギャップを感じないように未然に疑問点を解消する

 移住したものの、「こんはずじゃなかった」。たどり着いた先で、そんな経験をした人もいるに違いない。良い方向に転ぶこともあれば、予期せぬ方向に転ぶことだってあるだろう。サイコロは降ってみなけば、どんな目が出るか分からない。

 もしも移住先に、頼りになる存在がいるなら、出目は読みやすくなるかもしれない。大日向小学校が開校し、人気の教育移住先となった佐久穂町には、そのヒントがあるのではないか。佐久穂町役場・地域プロジェクトマネージャーの副島優輔さんが説明する。

 「移住してきた方に、「この町いいよね」と思ってもらえるように準備することを心がけています。たとえば、佐久穂町は寒冷地なので寒さを理解していないと、生活のさまざまな部分に支障が出てしまいます。冬の備えはもちろんですが、細かいことでいえば、ゴミの出し方など生活する上で不便なく暮らせるハウツーをオンラインで公開しています」(副島さん)

 実は、副島さん自身も埼玉県川口市から移住してきた背景を持つ。

 「映像関係の仕事をしていたのですが、今後10年なのか、何十年か分かりませんが、ここ(川口)で暮らしていくのかと考えたときに、移住という選択が出てきました。子どもが大きくなってから移住するとなると、いろいろと大変です。まだ小さいうちにどこかないかなと探していたら、佐久穂町にご縁があって、気軽に応募してみたのがきっかけです」(副島さん)

 平成30(2018)年、副島さんは家族とともに佐久穂町へ移住する。

 「大日向小学校の開校を一年後に控え、今後は教育移住のニーズが増えるだろうということで、佐久穂町はその準備を迫られていた。僕は、移住定住というミッションを受け持つ地域おこし協力隊として、この町に暮らすようになりました。協力隊の活動を行ったり、映像を作ったりする中で、地域の方と菅家を深めていきました」(副島さん)

デザイン性のある佐久穂町役場。内観も広く、明るい。

 副島さんを含めた地域おこし協力隊の4名は、いずれも県外からの移住者だった。自身の実体験をもとに、ギャップが生まれないよう説明会を開いたという。移住を考えている者からすれば、先輩移住者のアドバイスは心強い添木となる。

 「郷に入っては郷に従えではないですが、移住先のルールや仕組みを理解することは大事だと思います。移住相談の時点で疑問点などが生じた場合は、我々が個別に説明し、実際に移住する日が決まると、地区の区長さんと顔合わせのセッティングまで行うようにしました。今はそういった役目は、大日向小の保護者が自主的に作ったグループで行なっています」(副島さん)

 また、副島さんによれば、「交通の便が向上したことも教育移住の後押しになっている」と付言する。

 「佐久穂町は、北陸新幹線の佐久平駅から車でアクセスできるのですが、平成30(2018)年に中部横断自動車道という無料の高速道路が開通したことで、大幅に利便性が向上しました。開通したことで、佐久平駅から佐久穂町までは20~30分ほどで行くことができるように。こうした条件が整ったことも、注目を集める一因になったのは間違いないと思います」(副島さん)

 順風満帆のように見えるかもしれない。だが、副島さんはその先を見据えている。

 「佐久穂町に限った話ではないと思うのですが、とにかくマンパワーが足りない。たとえば、保育士が確保できために待機児童になるといったことが、佐久穂町のようなローカルな場所では起こりうる。町として、地域の人と何かしらの関わりを持ちながら暮らすことを推奨しているのは、人が循環する暮らしを作るためでもあるんですね。単に、「首都圏から教育移住してきました。私はリモートなので問題なく仕事ができます」で終わるのではなく、副業でも趣味でも構いませんので、佐久穂町の産業や暮らしにかかわることで、新しいエネルギーが生まれるようにしないといけない。我々も、そういう関心が高まるような町づくりをしていかなければいけません」(副島さん)

 その上で、大日向小中学校は大きな推進力を生み出す母体になる可能性を秘めている――。そう、副島さんは期待を寄せる。

 「長期的に考えると、ものすごく面白い人材が育つ可能性があると町の人も期待を寄せています。彼ら彼女らが大きくなって、佐久穂町に何かを還元したくなる、そういう町にならないとって思うんです」(副島さん)

 点が点で終わらないために。つなげることで線にして、その線をつなげて立体化させる。大日向小中学校は、イエナプランという新しい教育コンセプトにフォーカスが当たりがちだが、町を上昇させる次世代の風になる。そんな願いがあるのである。

 

 

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取材・文:我妻弘崇 撮影:山口絵里子 
編集:小坂朗(アジョンス・ドゥ・原生林) 企画制作:國學院大學

 

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