現代にも通じる『論語』に学ぶ

2018年6月15日更新

【中国文学科】文学研究プログラム4年(インタビュー当時) 今瀬 英一朗さん

 私が漢文に触れたきっかけは、小学生の頃、父と『論語』の素読をしたことです。父は、何故、『論語』を読ませたのか明らかにしたいと思い、中国文学科に進みました。今は、朱子学で知られる朱熹(しゅき)の『論語集注(ろんごしゅうちゅう)』を基に『論語』を読み解いています。

 『論語集注』には「主一無適(しゅいつむてき)」という語があります。これは、「心を一つのことに集中させ、意識が他に向かないようにする」のという意味です。勉強する時、仕事をする時など、心掛けたい言葉ではないでしょうか。この他にも、『論語』や朱熹の思想には、現代に通じるもの多いです。

 3年生になり、青木洋司先生(中国文学科助教)の下で学びを始めてから、中国の思想や文学の面白さに気づき、より深く学びたいと思いました。『論語集注』を読み解く中で、人としての在り方も、少しずつ体感しつつあるように思います。

 中国文学科の授業では、難解な文献を扱うこともあるので、日々の予習・復習は必須です。辞書で語句の意味を調べたり、その日の内容を念入りに復習したりするうちに、精神力も身に付いたように思います。漢文に触れたことのある人でも、初めは難しく思うかもしれませんが、基礎の授業から充実しているので、とても楽しいです。

 先生方は、私たちに、中国学の楽しさ、面白さを丁寧に、そして、熱心に教えて下さいます。先生から学んだことをほんの一端でも体感することができた時、とても嬉しくなります。

 私は、「宋代文学研究会」に入っています。研究会は、授業とは別に学生が主体となって活動している団体です。現在、5つの研究会があり、幅広い分野から自分が興味のあることを見つけて、それをとことん学べる環境が整っています。

中国文学科を漢字一文字で表すと「敬」

 朱熹はこの字を先述の「主一無適」として解釈しています。中国文学科では、集中力も身につき、学びを深めることで、自然と心も養われます。

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