研究フォーラム「皇典講究所・國學院と『古事記』研究」
2011年11月17日更新
1. 開催趣旨
明治15年創立の皇典講究所、同23年に同所を母体として設置された國學院では、近世以来の「国学」の学問方法に立脚し、神道を中核とする日本の伝統文化研究が多角的かつ総合的に行なわれてきた。本研究フォーラムでは、皇典講究所・國學院の学問研究のなかでも、『古事記』研究に焦点を絞り、戦後の『古事記』研究を牽引してきた菅野雅雄氏(國學院大學院友学術振興会会長・古事記学会前代表理事)をお招きして、基調講演を頂くとともに、本センターに所属する若手研究者の発表も交えて検討することにより、『古事記』研究を通して見られる皇典講究所・國學院の学問研究の歴史的展開と学問的意義を抽出することを目的とする。
明治15年創立の皇典講究所、同23年に同所を母体として設置された國學院では、近世以来の「国学」の学問方法に立脚し、神道を中核とする日本の伝統文化研究が多角的かつ総合的に行なわれてきた。本研究フォーラムでは、皇典講究所・國學院の学問研究のなかでも、『古事記』研究に焦点を絞り、戦後の『古事記』研究を牽引してきた菅野雅雄氏(國學院大學院友学術振興会会長・古事記学会前代表理事)をお招きして、基調講演を頂くとともに、本センターに所属する若手研究者の発表も交えて検討することにより、『古事記』研究を通して見られる皇典講究所・國學院の学問研究の歴史的展開と学問的意義を抽出することを目的とする。
2. 日時
平成23 (2011) 年2月12日 (土) 13時~17時
平成23 (2011) 年2月12日 (土) 13時~17時
3. 場所
本学 渋谷キャンパス 学術メディアセンター1階常磐松ホール
本学 渋谷キャンパス 学術メディアセンター1階常磐松ホール
4. 発表者・コメンテーター等
《講演者》
菅野雅雄 (本学院友学術振興会会長・古事記学会前代表理事)
《発題者》
渡邉卓 (國學院大學伝統文化リサーチセンターポスドク研究員)
戸浪裕之 (國學院大學伝統文化リサーチセンターポスドク研究員)
《コメンテーター》
谷口雅博 (本学文学部助教)
嵐義人 (本学神道文化学部教授)
《司会》
松本久史 (國學院大學伝統文化リサーチセンター准教授)
《講演者》
菅野雅雄 (本学院友学術振興会会長・古事記学会前代表理事)
《発題者》
渡邉卓 (國學院大學伝統文化リサーチセンターポスドク研究員)
戸浪裕之 (國學院大學伝統文化リサーチセンターポスドク研究員)
《コメンテーター》
谷口雅博 (本学文学部助教)
嵐義人 (本学神道文化学部教授)
《司会》
松本久史 (國學院大學伝統文化リサーチセンター准教授)
5. 概要
[基調講演] 菅野雅雄 「皇典講究所・國學院と『古事記』研究」
菅野氏はまず、皇典講究所の『古事記』研究の成果として、明治44年に本居豊頴・井上頼囶・上田万年の校閲によって刊行された『校定古事記』が注目されることを指摘した。しかしその後、校訂本が全く作られず、昭和31年から平凡社で刊行された『古事記大成』において、本文篇として倉野憲司氏による校訂本が作られたものの、その索引篇に収録された索引は、倉野氏による校訂本に基づくものではなく、実は皇典講究所の刊行した『校定古事記』を基本に作成されてしまったがゆえに混乱が生じたことを述べた。また皇典講究所・國學院の『古事記』研究について触れ、それには(1)『古事記』(を)研究する、(2)『古事記』(で)研究するという2つの研究態度・方法が見られ、前者には武田祐吉の『古事記』に関する諸研究が相当し、後者には折口信夫の『古代研究』が相当することを指摘した。
[発題1] 渡邉卓 「皇典講究所・國學院と『古事記』の諸本」
渡邉は、まず皇典講究所・國學院とゆかりのある人物が携わった『古事記』の研究書から、学問史とその特徴を述べた。なかでも『古事記』のテキストに着目し、底本の変遷と訓読を取り上げた。テキストの底本が本居宣長の『訂正古訓古事記』から真福寺本へ移行するなかで、はやくは武田祐吉が真福寺本を底本として使用していたことを指摘。また、三矢重松が「古事記における特殊なる訓法の研究」(本学博士第1号)において、『古事記』本文を一部分、音読するなど従来の宣長訓とは異なった態度があることを指摘した。この音読の態度は三矢の薫陶を受けた、折口信夫にも同様の態度が表れていることも併せて述べた。本学の先人が築いた『古事記』研究は、包括的に今日まで継承されており、新たな研究の礎となっているとした。
[発題2] 戸浪裕之 「皇典講究所の神職養成と『古事記』講義」
神職の養成・教育は、皇典講究所・國學院創立以来の重要な事業の一つであり、それは他の機関には見られない重要な個性であった。戸浪は、神職の養成・教育のなかで『古事記』がどのように扱われてきたのかについての発題を行なった。戸浪はまず、皇典講究所の前提・前身となる神道事務局生徒寮の神職養成を取りあげた。続いて、皇典講究所の神職養成事業とそれに関連する刊行物の説明を行い、学階試験問題集と「学階試験科目全書」を中心に、『古事記』に関わる神職試験の内容を窺った。結論として、平田篤胤の説が用いられているものの、神職養成のなかでの『古事記』の扱いは、おおむね宣長の『古事記伝』を継承したものであり、それは国学の道統を正しく継承しているという自負の表われではないかとした。
[コメント1] 谷口雅博
谷口氏は、まず戸浪に対して、「宣長の遺産の相続」というが、それでは平田篤胤はどのような位置にあるのかと質問した。次に渡邉に対して、まず宣長は古言の世界を追求しており、『古事記伝』や『訂正古訓古事記』は宣長が作った『古事記』として考えられるのではないかと指摘した。さらに『古事記』諸本には訓が付されていないため、テキスト生成において宣長の訓読が拠り所となったと考えられると述べた。また、『古事記』上巻冒頭部の訓読文について諸説を紹介し、本学の研究者でも、冒頭部の「天地初発」の訓読が一致していないため、難しい問題であると述べた。
[コメント2] 嵐義人
嵐氏はまず、明治10年代は所謂「鹿鳴館時代」と言われ、欧風文化に色濃く侵食されている時期であり、これに対する当時の識者たちの危機感が強かったこと、これが皇典講究所・國學院創立の背景にあることを指摘した。また東京大学文学部附属古典講習科の設置に触れ、その卒業生が皇典講究所・國學院に関係したことから、古典講習科の学問を國學院が継承したと考えてよいと述べた。また各発題者に欠けていた 明治から大正にかけての時代背景はどのようなものであったのかについて説明した。
[総合討議]
松本はまず渡邉・戸浪に対して、谷口・嵐両氏のコメントへの返答を求めた。渡邉は、諸本の変遷で、真福寺本と卜部家諸本の問題について補足し、また近年の國學院における『古事記』研究の学統について補足した。続いて戸浪は、まず谷口氏のコメントに対して、宣長の説を採っている部分の多くが、言葉の意味・解釈に関することであるのに対し、平田篤胤の場合はむしろ宗教的な解釈をする場合に見られることを述べた。続いて嵐氏に対しては、氏の東京大学文学部附属古典講習科の伝統を國學院が受け継いでいるとの指摘に対して同意するとともに、古典講習科の卒業生の何人かが神道事務局生徒寮の出身者であること、そして彼らが古典講習科を卒業したのち、皇典講究所・國學院にも関係することから、古典講習科→皇典講究所・國學院だけでなく、神道事務局生徒寮→古典講習科→皇典講究所・國學院という流れも想定することができるのではないかと返答した。
続いて松本は、ORC事業の趣旨を鑑み、「皇典講究所・國學院の出版物の普及」についての話題を振った。ここで戸浪は、発題中に提示した学階試験問題に、『神名帳考証』『神社覈録』の解題を書けとの出題があることに触れ、これら2書を皇典講究所が出版していることから、この出題は皇典講究所の刊行物ともリンクしているのではないかと述べた。
また菅野雅雄氏からは、(1)國學院の『古事記』研究はどのような方面に力点が置かれていたのか(訓詁註釈か、作品論か)。 (2)「皇典講究所・國學院」の関係者というけれども、卒業生だけではなく、外部(皇典講究所・國學院以外)から来た人もいるので、その範囲をもう少し厳密にすべきであったのではないかなどのコメントがあった。また会場の一般参加者からは、『古事記』本文に対する質問などがあった。
6. 成果と課題
本研究フォーラムは、『古事記』研究を通して見られる皇典講究所・國學院の学問研究の歴史的展開と学問的意義を抽出することを目的として開催され、当日は107名の参加があった。講演・発題・討議を通じて、とりわけ上代文学研究、および神職養成・教育の観点から、皇典講究所・國學院の『古事記』研究(講義)の特色や意義を明らかにし得たことは、今回の大きな成果であったと思われる。また昭和30年代の國學院における上代文学研究の状況を菅野氏よりお伺いできた点は、皇典講究所・國學院の学問を考える上でも有益であった。しかし同時に、皇典講究所の刊行物がどの程度広まったのか、また今回は文学研究と神職養成であったが、國學院が教員を多く輩出した旧制中学校への国学の伝播・受容はどのようなものであったかという側面について十分な考察ができず、さらに一般の方がたに成果を伝えるには、なお専門的でありすぎたなどの課題が残された。
文責:渡邉卓・戸浪裕之(本センター・ポスドク研究員)
このページに対するお問い合せ先: 研究開発推進機構事務課






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