魚吹八幡神社祭礼調査
2009年3月12日更新
1. 調査目的
「神社祭礼に見るモノと心」グループでは、全国の曳き物を出す祭りの資料を収集し、各地の曳き物の形態を把握するとともに、同一形態の曳き物の分布状況とその背景を探るための調査研究を行なっている。その一環として、今回は、次の理由から兵庫県姫路市の魚吹(うすき)八幡神社の秋祭りを調査対象として選択し、現地調査を行なった。
(1) 魚吹八幡神社秋祭りには、壇尻(ダンジリ)と、近畿地方以西の主として瀬戸内沿岸地域に多く分布する太鼓台(「屋台(ヤッタイ)」と呼ばれる)がともに出されることから、両者の性格とその社会的位置付けの違いが明確になるものと期待される。
(2) 魚吹八幡神社の鎮座する播州地域は、壇尻と屋台の出る祭りが特に集中的に分布する地域であり、近隣の同様の祭りと比較することによって、祭り形態の地域的共通性と分布地ごとの独自性が明瞭になるとともに、分布の背景も明らかになる可能性が高い。
(3) 魚吹八幡神社の秋祭りは、播州地域では最後に行なわれるものだが、当該地域の祭りの中心地であるとの意識を持っている。そのため、他の祭りに対して強い対抗意識を持ち、地域内に電機メーカーの工場が進出してきたことを背景に屋台に電飾を施すなど伝統の形への新たな要素の付加が顕著に見られ、祭りと地域社会の意識や歴史との関係を考える上で興味深い事例といえる。
2. 調査期間
平成20(2008)年10月20日~10月23日(4日間) 3泊4日
3. 調査地
兵庫県姫路市
4. 参加者
島田 潔 (客員研究員)
筒井 裕 (ポスドク研究員)
新木 直安(リサーチアシスタント)
鈴木 聡子(リサーチアシスタント)
5. 調査概要
(1) 神社と祭りを支える地域
魚吹八幡神社は「津の宮」とも呼ばれ、南は瀬戸内海、西は揖保川の流れ、北は山陽の山並みに囲まれた姫路市網干区宮内に鎮座し、息長足比売命・品陀和気命・玉依比売命を祀る。仁徳天皇7年の創祀とされ、後に石清水八幡宮の別宮となり、中世には、この地にあった福井庄の総社であったと伝える古社で、旧福井庄28ヶ村の範囲がほぼそのまま氏子区域となっている。現在は網干地区25集落の氏神となっており、主要な祭りに、元旦の「千本突き」、2月19日の厄除大祭、3月最終日曜日の「武神祭」と、今回調査対象とした10月21~22日の秋祭りがある。
(1) 神社と祭りを支える地域
魚吹八幡神社は「津の宮」とも呼ばれ、南は瀬戸内海、西は揖保川の流れ、北は山陽の山並みに囲まれた姫路市網干区宮内に鎮座し、息長足比売命・品陀和気命・玉依比売命を祀る。仁徳天皇7年の創祀とされ、後に石清水八幡宮の別宮となり、中世には、この地にあった福井庄の総社であったと伝える古社で、旧福井庄28ヶ村の範囲がほぼそのまま氏子区域となっている。現在は網干地区25集落の氏神となっており、主要な祭りに、元旦の「千本突き」、2月19日の厄除大祭、3月最終日曜日の「武神祭」と、今回調査対象とした10月21~22日の秋祭りがある。
写真1 魚吹八幡神社
秋祭りは、「提灯祭り」の異名をもつ10月21日の宵宮と翌22日の本宮からなり、三基の神輿のお旅所への渡御に伴って出される壇尻と屋台の巡行と、神社からの神輿出御を前に大門前で行なわれる提灯の激しいぶつけ合いが、主な見どころとなっている。
現在、壇尻は4台、屋台は18台あり、その他に獅子壇尻と呼ばれる獅子舞が1つある。また、提灯は7集落が出す。だが、壇尻は本来5台あったという。それが4台になったのだが、祭りには3台が出されて1台は休みとなる。これは、壇尻には演芸披露が伴うことから、時間と場所をとることなどが理由となっている。
モノ以外にも、三基の神輿担ぎと神幸行列の先導、それに神幸で神輿の前を行く金幣を担ぐ役を、決められた集落が勤めている。
[モノを担う集落]
・壇尻…新在家、余子浜(よこはま)、垣内(かいち)、朝日谷(今回は休み)
・屋台…熊見、丁(よろ)、田井、宮田、長松、大江島、平松、吉美、天満、西土井、坂出、津市場北、津市場、坂上、糸井、高田、和久、福井
・獅子…朝日谷
・提灯…平松、吉美、大江島、興浜(おきはま)、新在家、余子浜、垣内
[神幸行列の所役]
・神幸先導…敷村(神社鎮座地の宮内町)、平松、吉美
・金幣…大江島
・神輿(応神天皇)…興浜
・神輿(神功皇后)…新在家
・神輿(玉依比売)…余子浜
このような役割分担が成立した理由は伝わっていないが、モノに関していえば、神社よりも海側の集落は壇尻(朝日谷は除く)、その他は屋台という地域的な色分けができる。壇尻を出す町内の意識としては、壇尻の方が屋台と比べて作りも大きく費用もかかるため、大きな集落でないと曳けないし維持もできないので、昔から人口・経済規模の大きな集落が壇尻、それ以外は屋台となっているという。確かに、歴史的には壇尻を出す新在家や余子浜が近世の網干の中心地であったことが知られており、壇尻と屋台がこの地域の近世的枠組みを反映していることは十分に考えられる。その他でも、神社よりも海側の地域が主要な役割を担う特徴が認められるが、この地域も近世に繁栄したといわれており、この祭りが網干の近世的な枠組みをベースに成り立っていることが理解される。なお、魚吹八幡神社のお旅所は、垣内にある。
(2) 祭りの儀礼構成
平成20年の祭りをもとに祭りの儀礼構成を示すと、概略次の通りとなる。
10月21日(宵宮)
10時~16時頃 各集落の壇尻と屋台が、自町内を巡る。午後になると、壇尻3台(新在家、余子浜、垣内)がお旅所に向けて曳行される。
16時~17時頃 新在家、余子浜、垣内の順に、壇尻がお旅所の渡神殿前に曳き着けられる。
17時~18時頃 屋台3台(坂上、津市場、津市場北)が、各集落から神社大門前に向けて移動し、大門前で練る。
19時~22時頃 「提灯祭り」。南側と東側から神社大門に至る「提灯道」を通って、集落ごとに提灯が大門前に登場し、提灯を激しく打ち合って跡形もなく破壊する。全ての提灯が破壊されると、大門から境内に入り拝殿前に至って、神輿の出御を待つ。
22時30分頃~ 神輿が本殿から出御し、神幸行列がお旅所に向けて進行する。
23時~23時30分 お旅所着御の神事。
写真2 壇尻(余子浜)
写真3 提灯祭り
10月22日(本宮)
10時頃~ お旅所に屋台が次々と到着し、据え付けられる。
11時30分~50分 神社よりお旅所に、宮司、氏子総代、神幸供奉者、神幸威儀物などが到着し、お旅所祭の神事が行われる。撤饌の後、朝日谷の獅子舞奉納あり。
12時~12時45分 張出し舞台のついた壇尻の上で、演芸が行われる。
12時45分~ 壇尻の演芸が終わるとすぐに、屋台がお旅所内で練り、その後神社に向けて出発し始める。屋台は、神社に着くと大門内に入り、拝殿前および周辺に整列する。
15時20分頃~ 全ての屋台がお旅所から出ると、程なく神幸行列が神社に向けて出発する。最後尾は、壇尻が付く。最後尾の垣内の壇尻がお旅所を出たのは17時10分頃、神社到着は18時40分頃になった。壇尻は、神社に着いても大門内には入らず、大門前で演芸を奉納する。
19時50分~ 最後の垣内の壇尻の演芸奉納が終了すると、境内に並んだ屋台が、順番に拝殿前に進んで練った後に、大門からそれぞれの集落に帰って行く。最後の屋台が大門を出たのは23時30分で、その後に、大門前から壇尻が自分の集落に向けて帰って行く。最後の垣内の壇尻が大門前を出たのは、24時15分であった。
写真4 お旅所
(3) 壇尻と屋台
壇尻と屋台は、ともに祭りの花形だが、対照的な存在といえる。
壇尻は、屋根付き舞台をもつ四輪・単層の曳き物で、舞台下の幕で覆われたスペースが物置場兼用の囃子の場となっている。装飾は、彫刻の他に曳行時に飾る造花などがある。舞台の上では、お旅所と神社大門前で演芸が行われる他に、曳行時には音頭取りが陣取る。
写真5 壇尻の曳行
一方、屋台は、一見すると神輿に見える形態の担ぎ物で、内部中央に太鼓が置かれ、その周りに4~6人程の子供が座って太鼓を叩く。全体的に凝った彫刻やきらびやかな装飾が施されているが、新造当初は白木造りで祭りに参加し、その後飾り金具などを取り付ける。そのサイズは、道路の拡幅によって、幅や高さが大きくなってきたという。
写真6 屋台の巡行
屋台に関して特徴的なのは、その出来映えが他集落からの評価対象となることと、夜間に点灯する電飾があることである。屋台の出来映えの評価は、「さま」と呼ばれる屋根下部分の四面に施された彫刻の出来映えで決まるといわれる。電飾は、全体を縁取るように豆電球を取り付けるもので、夜間の巡行時には、飾り金具の輝きが電球の灯りで一層際立つ。本来、屋台に付ける照明は提灯のみであったが、昭和25、6年頃に長松という集落の電機会社社員の発案で電飾が始まったという。その後、電機大手企業の工場があることから氏子区域内全域に電飾が広まり、現在ではLEDライトを使う試みもある。
写真7 電球で装飾された屋台
(4) 図書館での資料調査
姫路市立図書館(本館・分館)にて、祭りや地域の歴史、壇尻や屋台の造営に関する資料、松原八幡宮の「灘のケンカ祭り」他の近隣の同様の祭り関係資料について、その所在と内容について文献調査を行なった。
6. 調査の成果と課題
既に述べたように、今回の調査により、この祭りが近世以来の地域の歴史と関連していることと、壇尻と屋台との間に対抗的な関係が認められ、壇尻に比べて屋台の方が地域や人々の意識の変化を反映しやすいことが明らかとなった。また、特に屋台に関連して、近隣の祭りではぶつけ合うのに対して魚吹八幡神社ではそのようなことをしないなどの違いを意識しているほか、電飾も他地域の祭りにはない特徴として自覚されており、他地域と同様の祭りを行いながらも差別化を求める人々の指向性を読み取ることができた。
もっとも、今回は祭りの概要を確認し、インタヴューや図書による概略的な歴史情報を得るに留まった。祭りの詳細な歴史的経緯や社会関係、さらに地域の歴史的な展開を具体的に把握する必要がある。それによって、祭りの背景にある歴史はもとより、その中での人々の意識の所在や宗教的な意味性もより明らかとなることが期待される。
(文責: 島田潔)
このページに対するお問い合せ先: 研究開発推進機構事務課






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