御形神社開当祭調査
2012年2月1日更新
1. 調査目的
「神社祭礼に見るモノと心」グループでは、平成20年度の調査の一つとして、神社祭式で定められた神饌以外の各
「神社祭礼に見るモノと心」グループでは、平成20年度の調査の一つとして、神社祭式で定められた神饌以外の各
神社の歴史・伝統に根ざした神饌(特殊神饌)の全国的な実態と地域性の把握を目的に、全国約3,000社の神社を
対象にアンケート調査を実施した。御形神社はアンケート調査対象神社の一つであり、食用にならない自生のトコ
ロ(芋)を神饌として供えるという回答を頂いた。
神饌=食物というのが常識的な理解であるが、食用にならないものを敢えて神饌として供える事例の存在は、そ
神饌=食物というのが常識的な理解であるが、食用にならないものを敢えて神饌として供える事例の存在は、そ
のような常識的理解を相対化し、神饌という文化のもつ意味を改めて考える必要性を示唆している。このような関
心から、トコロが供されるという御形神社開当祭について、その実態とトコロの祭りの中での位置付け、祭りと神
饌に関連する歴史・伝承の詳細を知るために、参与調査および聞き取り調査を行なった。
2. 調査期間
平成21年(2009) 2月28日(土)~3月2日(月)
平成21年(2009) 2月28日(土)~3月2日(月)
3. 調査地
兵庫県宍粟市一宮町森添 御形神社、宍粟市立図書館など
兵庫県宍粟市一宮町森添 御形神社、宍粟市立図書館など
4. 参加者
島田潔(國學院大學伝統文化リサーチセンター客員研究員)
島田潔(國學院大學伝統文化リサーチセンター客員研究員)
5. 概要
[御形神社]
姫路からバスを乗り継いで約2時間、揖保川上流に開けた山間の小盆地に、御形神社は鎮座する。揖保川本流とその支流の合流点に開けたこの地は、縄文時代の集落遺跡があり、『播磨国風土記』にも「御方里」としてその名が見えるように、早くから人の営みがあった。『延喜式』登載の歴史を誇る御形神社もまた、『風土記』ゆかりの神社で、「三方里」の地名起源譚に登場する葦原志許男神を祀る。『風土記』によれば、天日槍神と国争いをした葦原志許男神が三條(みかた)の黒葛(つづら)を足に付けて投げ、そのうちの一つが落ちたのがこの地で、のちに葦原志許男神が御杖を黒土志爾嵩(くろつちのしにたけ)に挿して立ち去ったとされるが、社伝によれば黒土志爾嵩とは御形神社の東南東にそびえる高峰山のことで、御形神社の起源の地と伝えられる。高峰山から現社地に移ったのは宝亀3年(772)で、里人が現社地に一夜のうちに三本の大杉が生える夢を見たことから、祭神の遷座の意を感じて社殿を建立したと伝わる。(※神社の起源伝承は、「御形神社御由緒略記」の記載による。)
氏子区域は、御形神社の鎮座する盆地平野部だけでなく、川筋を遡って但馬(鳥取県)との国境の分水嶺まで及ぶ広大な地域で、中世の三方庄の庄域がほぼ氏子区域と重なると考えられている。その広大な氏子区域は、明治時代の旧村単位でまとまりをなしており、神社鎮座地である「三方」と、その下流の谷間を占める「下三方」、上流の山間部の「繁盛(はんせ)」の三地区に、大きく分かれる。今回調査した開当祭も、この三つの地区が単位となって行なわれている。
[御形神社]
姫路からバスを乗り継いで約2時間、揖保川上流に開けた山間の小盆地に、御形神社は鎮座する。揖保川本流とその支流の合流点に開けたこの地は、縄文時代の集落遺跡があり、『播磨国風土記』にも「御方里」としてその名が見えるように、早くから人の営みがあった。『延喜式』登載の歴史を誇る御形神社もまた、『風土記』ゆかりの神社で、「三方里」の地名起源譚に登場する葦原志許男神を祀る。『風土記』によれば、天日槍神と国争いをした葦原志許男神が三條(みかた)の黒葛(つづら)を足に付けて投げ、そのうちの一つが落ちたのがこの地で、のちに葦原志許男神が御杖を黒土志爾嵩(くろつちのしにたけ)に挿して立ち去ったとされるが、社伝によれば黒土志爾嵩とは御形神社の東南東にそびえる高峰山のことで、御形神社の起源の地と伝えられる。高峰山から現社地に移ったのは宝亀3年(772)で、里人が現社地に一夜のうちに三本の大杉が生える夢を見たことから、祭神の遷座の意を感じて社殿を建立したと伝わる。(※神社の起源伝承は、「御形神社御由緒略記」の記載による。)
氏子区域は、御形神社の鎮座する盆地平野部だけでなく、川筋を遡って但馬(鳥取県)との国境の分水嶺まで及ぶ広大な地域で、中世の三方庄の庄域がほぼ氏子区域と重なると考えられている。その広大な氏子区域は、明治時代の旧村単位でまとまりをなしており、神社鎮座地である「三方」と、その下流の谷間を占める「下三方」、上流の山間部の「繁盛(はんせ)」の三地区に、大きく分かれる。今回調査した開当祭も、この三つの地区が単位となって行なわれている。
[開当祭]
開当祭は、毎年3月第一日曜日に行なわれているが、本来は1月に行なわれており、正月卯の日、申の日と7日の3回行なわれていた。この祭りは、いわゆる頭屋(当屋)制の祭りで、神籤で選ばれた上記三地区各1名の「当人」が行なう最後の祭りとされており、かつて3回に分けて行なわれていたのは、3人の当人が1人づつ行なう神事であったことによる。当人は、前年の開当祭で決まり、下記の年間諸祭への参列が義務付けられるほか、開当祭をはじめとする諸祭の費用・祭物の一部を負担する。
なお、昭和46年までは、当人は「三方」から2名、「繁盛」から1名の3名だったが、昭和47年から「下三方」からも当人を出すようになり、各地区1名づつとなった。
※ 当人の一年… 3月(不定期) 御当奉迎祭
・ 4月~翌2月の1日・15日 月次祭
・ 5月 3日 春祭り
・ 5月25日 忠魂祭
・10月10日 秋祭り
・11月23日 新嘗祭
・12月31日 大祓式
・ 1月 1日 元旦歳旦祭
・ 2月17日 祈年祭
・ 3月第一日曜日 開当祭
開当祭は、毎年3月第一日曜日に行なわれているが、本来は1月に行なわれており、正月卯の日、申の日と7日の3回行なわれていた。この祭りは、いわゆる頭屋(当屋)制の祭りで、神籤で選ばれた上記三地区各1名の「当人」が行なう最後の祭りとされており、かつて3回に分けて行なわれていたのは、3人の当人が1人づつ行なう神事であったことによる。当人は、前年の開当祭で決まり、下記の年間諸祭への参列が義務付けられるほか、開当祭をはじめとする諸祭の費用・祭物の一部を負担する。
なお、昭和46年までは、当人は「三方」から2名、「繁盛」から1名の3名だったが、昭和47年から「下三方」からも当人を出すようになり、各地区1名づつとなった。
※ 当人の一年… 3月(不定期) 御当奉迎祭
・ 4月~翌2月の1日・15日 月次祭
・ 5月 3日 春祭り
・ 5月25日 忠魂祭
・10月10日 秋祭り
・11月23日 新嘗祭
・12月31日 大祓式
・ 1月 1日 元旦歳旦祭
・ 2月17日 祈年祭
・ 3月第一日曜日 開当祭
《開当祭の構成》
開当祭は、当人3名とそれに随伴する供人(当人の居住する自治会の若者)3名、責任役員が務める立会人1名、それに宮司の計8名によって、静かに執り行われる。その概略は、以下の通り。
開当祭は、当人3名とそれに随伴する供人(当人の居住する自治会の若者)3名、責任役員が務める立会人1名、それに宮司の計8名によって、静かに執り行われる。その概略は、以下の通り。
8:45~10:50
・当人が供人とともに、前年に神社から預かった御分霊の祠を返しに来る。
・当人3名、供人3名、立会人1名による祭典、神饌の準備。
(神饌品目は、餅三重、串柿、牛蒡、栗・栢・白大豆・白米、トコロ・熨斗・三玉串棒(みたまぐし棒といい、胡桃の木を50cm程の円柱状に作ったもの)・神札。このうち、トコロは藁苞に包み込んだ状態で供え、神事終了後は当人の地区内各戸に配る。詳細は後述。)
・伴人が、境内にある井戸から「若水」を汲み、本殿前に持参する。
・当人は、本殿三座の鴨居に昆布三枚づつを紙垂状に掛けるとともに、その手前に2枚一組の干鯛(実際は干カレ
・当人が供人とともに、前年に神社から預かった御分霊の祠を返しに来る。
・当人3名、供人3名、立会人1名による祭典、神饌の準備。
(神饌品目は、餅三重、串柿、牛蒡、栗・栢・白大豆・白米、トコロ・熨斗・三玉串棒(みたまぐし棒といい、胡桃の木を50cm程の円柱状に作ったもの)・神札。このうち、トコロは藁苞に包み込んだ状態で供え、神事終了後は当人の地区内各戸に配る。詳細は後述。)
・伴人が、境内にある井戸から「若水」を汲み、本殿前に持参する。
・当人は、本殿三座の鴨居に昆布三枚づつを紙垂状に掛けるとともに、その手前に2枚一組の干鯛(実際は干カレ
イ)12組を竹棒に吊るす。これは、一年12ケ月を表すとされる。それが終わると、御分霊の祠と神饌の一部(米・塩、餅、柿、牛蒡、神酒)を本殿内に収める。
・宮司は、手に載るほどの木鉢に神札と本殿下の土一つまみを載せ、神酒を少量注ぐ。この鉢は、三玉串行事などに使用する。
・宮司は、手に載るほどの木鉢に神札と本殿下の土一つまみを載せ、神酒を少量注ぐ。この鉢は、三玉串行事などに使用する。
10:50~12:00 開当祭・御籤行事
1)祓詞
2)大麻行事
3)三当人宮巡り(本社および境内社で扇を開いて拝礼した後、扇を持たずに本社と境内社を二度巡拝する。)
4)斎主以下着座
5)開扉
6)献饌(当人が本殿三座に、トコロ・熨斗・神札・三玉串棒を載せた三方を1台づつ供える。)
7)献水行事(伴人が汲んできた若水を、宮司が本殿三座に献じる。)
8)三玉串行事(宮司が、神札と本殿下の土の入った木鉢を三玉串棒と呼ばれるクルミの棒で三度叩いた後、神前に供えられた神札の上に三度打ち付ける。これを本殿三座それぞれで行なう。神札に性根を入れる行事とされる。その後、宮司が「天下泰平、四海安静、五穀豊穣、氏子繁栄」などと口伝の詞を唱えながら木鉢を三度叩いてから、本殿の鴨居に掛けられた昆布の上に三玉串棒を打ち付ける所作を行なう。拝殿からははっきり見えないが、木鉢と本殿の壁を叩く鈍い音が、響き渡る。)
9)三当人奉幣
10)宮司祝詞奏上
11)大豆打(まめかち)行事(拝殿に茣蓙が敷かれ、その上に三人分の枝付き大豆とくるみの棒が用意される。3人の供人がその前に座り、右手に棒 を持って、宮司が木鉢を三玉串棒で三回叩いて「大豊年」と唱えるのを待つ。宮司の「大豊年」の言葉を聞くと、供人はくるみの棒で大豆を三度叩く。これを三度行なった後、枝から離れて散らばった大豆を各伴人が24粒づつ拾って袋に入れ、宮司の持つ三方に載せる。)
12)宮司祝詞奏上
13)御籤行事(宮司と立会人の責任役員が本殿に昇殿。宮司が御幣によって御籤を吊り上げる方式で、新当人を選ぶ。これを本殿三座で行なうが、「三方」は本殿正面、「下三方」は向かって右、「繁盛」は左側の殿内で行なう。この時、候補者の名を書いた御籤は、大豆打行事で拾った24粒の大豆の上に置かれ、御幣で吊り上げられる。)
14)玉串拝礼(斎主、当人、立会人の順)
15)撤饌
16)閉扉
12:00~13:00 神籤開き
・宮司が社務所の応接間で、当人3名、立会人1名の見守る中、新当人の名が記された神籤を開いて任命状に指名を
1)祓詞
2)大麻行事
3)三当人宮巡り(本社および境内社で扇を開いて拝礼した後、扇を持たずに本社と境内社を二度巡拝する。)
4)斎主以下着座
5)開扉
6)献饌(当人が本殿三座に、トコロ・熨斗・神札・三玉串棒を載せた三方を1台づつ供える。)
7)献水行事(伴人が汲んできた若水を、宮司が本殿三座に献じる。)
8)三玉串行事(宮司が、神札と本殿下の土の入った木鉢を三玉串棒と呼ばれるクルミの棒で三度叩いた後、神前に供えられた神札の上に三度打ち付ける。これを本殿三座それぞれで行なう。神札に性根を入れる行事とされる。その後、宮司が「天下泰平、四海安静、五穀豊穣、氏子繁栄」などと口伝の詞を唱えながら木鉢を三度叩いてから、本殿の鴨居に掛けられた昆布の上に三玉串棒を打ち付ける所作を行なう。拝殿からははっきり見えないが、木鉢と本殿の壁を叩く鈍い音が、響き渡る。)
9)三当人奉幣
10)宮司祝詞奏上
11)大豆打(まめかち)行事(拝殿に茣蓙が敷かれ、その上に三人分の枝付き大豆とくるみの棒が用意される。3人の供人がその前に座り、右手に棒 を持って、宮司が木鉢を三玉串棒で三回叩いて「大豊年」と唱えるのを待つ。宮司の「大豊年」の言葉を聞くと、供人はくるみの棒で大豆を三度叩く。これを三度行なった後、枝から離れて散らばった大豆を各伴人が24粒づつ拾って袋に入れ、宮司の持つ三方に載せる。)
12)宮司祝詞奏上
13)御籤行事(宮司と立会人の責任役員が本殿に昇殿。宮司が御幣によって御籤を吊り上げる方式で、新当人を選ぶ。これを本殿三座で行なうが、「三方」は本殿正面、「下三方」は向かって右、「繁盛」は左側の殿内で行なう。この時、候補者の名を書いた御籤は、大豆打行事で拾った24粒の大豆の上に置かれ、御幣で吊り上げられる。)
14)玉串拝礼(斎主、当人、立会人の順)
15)撤饌
16)閉扉
12:00~13:00 神籤開き
・宮司が社務所の応接間で、当人3名、立会人1名の見守る中、新当人の名が記された神籤を開いて任命状に指名を
記入し、封緘する。当日中に郵送するが、誰が候補者になっているかは一切秘密であるため、新当人に選ばれた人
は、いきなり当選通知が届いて驚くという。
・当人候補者は、過去三年の当人(9名)および3地区の責任役員(各1名)と宮司の計13名で協議し、年齢や経済
・当人候補者は、過去三年の当人(9名)および3地区の責任役員(各1名)と宮司の計13名で協議し、年齢や経済
力などを勘案して過去のデータを添削し、65~70歳の人が選ばれる。かつては単年度の当人3名と宮司、責任役員1
名だけで選んでいたが、現宮司の代から多くの目で選ぶようになった。
13:00~13:40 直会
・供人が、白味噌仕立てで「餅つきの餅」と呼ばれる小餅(各当人15個を用意)を入れた汁を調理し、全員で食す。
・直会の最後には必ず宮司が謡曲を謡う、という仕来りがある。
《開当祭の神饌》
開当祭には、各当人につき5台の三方が神饌として供えられる。5台の内訳は、下記の通りとなっている(数字は便宜的につけたもの)。
(1)重ね餅(大餅と小餅を重ねたものを三つ)
(2)串柿(3串を一連としたもの一つと1串)
(3)牛蒡(3本一束×3)
(4)栗(5斗一袋)、栢(5斗一袋)、白米(5斗一袋×2)、白大豆(5斗一袋×2)
(5)トコロ(1苞)、本熨斗(1連)、三玉串棒(1本)、神札(1枚)
これらのうち、串柿、栢、白米、白大豆、トコロ、三玉串棒は、当人が準備することとなっており、トコロについては自生のタチドコロまたはオニドコロを採取して藁苞に入れた状態で持参する。ちなみにトコロは、御形神社ではトコロテンと呼ばれている。
このような神饌がいつから供えられているのかは不明だが、「御形社高見大明神神事式」と題された大永7年(1527)の年記のある神社所蔵史料には、分量に違いがあるものの、現在と同じものが記されている。この中で、特に注目されるのは、食用にならないものばかりが載せられた[5]である。神事の中でも、他の神饌は準備段階で本殿に据えられるのに対して、この三方だけは献饌の儀として当人が本殿まで伝供して供える形を維持しており、開当祭で最も重要な神饌とされていることが窺われる。
・供人が、白味噌仕立てで「餅つきの餅」と呼ばれる小餅(各当人15個を用意)を入れた汁を調理し、全員で食す。
・直会の最後には必ず宮司が謡曲を謡う、という仕来りがある。
《開当祭の神饌》
開当祭には、各当人につき5台の三方が神饌として供えられる。5台の内訳は、下記の通りとなっている(数字は便宜的につけたもの)。
(1)重ね餅(大餅と小餅を重ねたものを三つ)
(2)串柿(3串を一連としたもの一つと1串)
(3)牛蒡(3本一束×3)
(4)栗(5斗一袋)、栢(5斗一袋)、白米(5斗一袋×2)、白大豆(5斗一袋×2)
(5)トコロ(1苞)、本熨斗(1連)、三玉串棒(1本)、神札(1枚)
これらのうち、串柿、栢、白米、白大豆、トコロ、三玉串棒は、当人が準備することとなっており、トコロについては自生のタチドコロまたはオニドコロを採取して藁苞に入れた状態で持参する。ちなみにトコロは、御形神社ではトコロテンと呼ばれている。
このような神饌がいつから供えられているのかは不明だが、「御形社高見大明神神事式」と題された大永7年(1527)の年記のある神社所蔵史料には、分量に違いがあるものの、現在と同じものが記されている。この中で、特に注目されるのは、食用にならないものばかりが載せられた[5]である。神事の中でも、他の神饌は準備段階で本殿に据えられるのに対して、この三方だけは献饌の儀として当人が本殿まで伝供して供える形を維持しており、開当祭で最も重要な神饌とされていることが窺われる。
《食べられない神饌とその意味》
食べられないものが、なぜ神饌として供えられるのだろうか。この点について考える時、トコロに関して代々の宮司に、「トコロは、小さなかけら程度でもすぐに繁殖するものであるから、縁起ものとして氏子が栄えるようにとの意味で供えられる」という説明が受け継がれてきたことは、示唆深い。(※アンケート回答および宮司談による。)
この説明には、トコロのもつ旺盛な生命力が人々の生命力に転化することへの類感呪術的観念が認められるが、大永7年の年記のある史料に「黄精」と表記されていることからも、トコロに旺盛な生命力のイメージがあることは間違いない。
これに関連して興味深いのは、トコロと一緒に供えられる三玉串棒である。この棒は、三玉串行事と大豆打行事で用いられる(開当祭の構成の項を参照)。この棒に関しては、史料では「牛玉串」と記されていることや三玉串行事の内容からみると、正月の仏教行事でよく見られる生命力更新の儀礼としての牛玉宝印の行事との関係が考えられる。また、神札に性根を入れるという三玉串行事に対する意味付けからしても、この棒が生命力の賦活に関わるものであることは、明らかである。
このようにみると、食べられない神饌には、生命力のイメージが強く付着していることが分かる。そして、開当祭が本来は正月行事であったことは、このような意味をもつものが重視されることと符合する。食べられないものが神饌として供えられることには、一年の始まりに際して生命力を新たにするという宗教的な目的が、あったのである。
食べられないものが、なぜ神饌として供えられるのだろうか。この点について考える時、トコロに関して代々の宮司に、「トコロは、小さなかけら程度でもすぐに繁殖するものであるから、縁起ものとして氏子が栄えるようにとの意味で供えられる」という説明が受け継がれてきたことは、示唆深い。(※アンケート回答および宮司談による。)
この説明には、トコロのもつ旺盛な生命力が人々の生命力に転化することへの類感呪術的観念が認められるが、大永7年の年記のある史料に「黄精」と表記されていることからも、トコロに旺盛な生命力のイメージがあることは間違いない。
これに関連して興味深いのは、トコロと一緒に供えられる三玉串棒である。この棒は、三玉串行事と大豆打行事で用いられる(開当祭の構成の項を参照)。この棒に関しては、史料では「牛玉串」と記されていることや三玉串行事の内容からみると、正月の仏教行事でよく見られる生命力更新の儀礼としての牛玉宝印の行事との関係が考えられる。また、神札に性根を入れるという三玉串行事に対する意味付けからしても、この棒が生命力の賦活に関わるものであることは、明らかである。
このようにみると、食べられない神饌には、生命力のイメージが強く付着していることが分かる。そして、開当祭が本来は正月行事であったことは、このような意味をもつものが重視されることと符合する。食べられないものが神饌として供えられることには、一年の始まりに際して生命力を新たにするという宗教的な目的が、あったのである。
[その他調査結果]
・御形神社の氏子区域内各自治会(集落)では、それぞれの氏神で当人の制度がある。
・御形神社の氏子区域と隣接する一宮地区では、当人の祭りというものはない。
・一宮地区にある一宮伊和神社では、揖保川下流域にある屋台の祭りが行なわれているが、御形神社の氏子区域内には、同じ揖保川水系にありながら、下流域に見られる祭りの形は入っていない。但し、近年「下三方」の福地では、揖保川最下流の魚吹八幡神社の祭礼を見て壇尻に興味を抱き、魚吹八幡神社の氏子である興浜地区から壇尻を譲り受けて秋祭りに壇尻を曳くようになった。祭りの伝播の事例として興味深いとともに、隣接する地域間での文化的対抗意識も垣間見られる。
・御形神社の氏子区域内各自治会(集落)では、それぞれの氏神で当人の制度がある。
・御形神社の氏子区域と隣接する一宮地区では、当人の祭りというものはない。
・一宮地区にある一宮伊和神社では、揖保川下流域にある屋台の祭りが行なわれているが、御形神社の氏子区域内には、同じ揖保川水系にありながら、下流域に見られる祭りの形は入っていない。但し、近年「下三方」の福地では、揖保川最下流の魚吹八幡神社の祭礼を見て壇尻に興味を抱き、魚吹八幡神社の氏子である興浜地区から壇尻を譲り受けて秋祭りに壇尻を曳くようになった。祭りの伝播の事例として興味深いとともに、隣接する地域間での文化的対抗意識も垣間見られる。
以上の調査は、神饌に関するアンケート調査に伴って行なわれたが、アンケートの回答から、当屋の祭りら芋が出される例が散見される。御形神社開当祭はその一例だが、当屋祭祀については、従来その祭祀組織としての側面が村落史や社会学的な観点から論じられる傾向が強く、その宗教的文化的側面からの検討は進んでいない。今回の調査により、改めて当屋祭祀を再検討する必要性が感じられた。他の事例との比較も含めて、さらに研究を深めたいと思う。
(文責:島田 潔)
このページに対するお問い合せ先: 研究開発推進機構事務課






ページトップへ