京都府神道関係文化財調査
2011年5月11日更新
1.調査目的
「神社祭礼に見るモノと心」グループは、指定文化財を実際に見聞調査することによって、その特徴や問題点を抽出し、当該文化財の有する歴史的・社会的意義を究明することを目標とする。この分析をおこなうために、文化財に携わる人達に聞き取りをし、加えて資料の収集をおこなっている。
特に、平成19年度以来、諸国の一宮と東照宮を中心とした調査を重ね、その中でも、社殿形式と祭祀の関係に注目し、データベース作成等の調査研究を重ねてきた。その中で、神社形式において最も棟数が多く国及び都道府県によって指定・登録された文化財の神社本殿の半数近くを占めるのが流造であること、石の間造(いわゆる権現造)の社殿は近世に広まった社殿であり、文化財にも少なからず指定されていることが判明した。そこで、山城国一宮であり流造の典型である賀茂別雷神社・賀茂御祖神社、石の間造の典型である北野天満宮の実地調査を今回実施した。
2.調査期間
平成23(2011)年2月14日(月)~2月16日(水)
3.調査地
賀茂別雷神社(京都府京都市北区上賀茂本山)
賀茂御祖神社(京都府京都市左京区下鴨泉川町)
北野天満宮(京都府京都市上京区馬喰町)
4.参加者
茂木 貞純 (伝統文化リサーチセンター教授)
池谷 浩一 (伝統文化リサーチセンター客員研究員)
山田 岳晴 (伝統文化リサーチセンターポスドク研究員)
山中 聡一郎 (伝統文化リサーチセンター作業協力者)
5.調査の概要
(1)調査対象
・調査先神社所有・所蔵の文化財、特に建造物
・上記に関連する資料
・祭祀をおこなう祭場が把握できる祭礼(賀茂別雷神社燃灯祭・2月14日)
(2)今回の調査での知見
今回は社殿でおこなわれる祭祀について、下記のような知見が得られた。
A)賀茂御祖神社・賀茂別雷神社の両社は対と見なされることが少なくないが、その祭祀の形態は大きく相違する。社殿配置も同様であり、一見すると同様に見えるが、主祭神の座数も相違するため、1座の神を祀る賀茂別雷神社においては、本殿と並立する建物を権殿としている。権殿は遷宮時の仮殿としての役割があり、近似の例は、日光の東照宮御仮殿などがあるが、当該権殿では、祭祀がおこなわれている点を確認することができた。このことにより、特に賀茂御祖神社と比較することで、社殿と祭祀のあり方を考察する必要性が明確となった。
B)北野天満宮の「石の間造」の社殿は、慶長12年(1607)の造営で現在の形式となったが、それ以前は拝殿と本殿は分かれていたのではないかとの神職の解説があった。実際、観応2年(1351)に描かれた北野神社図(慕帰絵詞、紙本著色、京都・本願寺蔵、国宝)には拝殿に極めて接近して入母屋造の本殿が描かれている。
C)近世、北野天満宮において、祭主の祗候の座は石の間であった。このことは、拝殿と本殿が別棟であった頃の作法を反映しているものと推察される。これは、以前調査した宮城県の鹽竈神社で、近世の一時期、社殿が権現造の時代があった時代においても、祭祀は左宮・右宮の二社殿であった頃の作法を踏襲していた、という事例に近似している。
6.今後の課題
本グループでは、国及び都道府県の指定・登録の文化財を対象として、神社社殿の形式や造営年代に注目した分類をおこなっている。今回の調査対象である両賀茂社と同形式の「三間社流造」の社殿は326件を数えるが、同じ社殿形式であっても必ずしも同じ祭祀の方式をとるとは限らない。ただし、社殿形式と祭祀との間には一定の関係があるものと推察されるので、その点を明らかにしていきたい。また、祭祀形態は社殿形式の変遷等、歴史的経緯に充分配慮しなくてはならず、現代の事例のみを取り上げて論じることはできない。今後の更なる調査研究の課題である。
(文責:池谷浩一)
このページに対するお問い合せ先: 研究開発推進機構事務課






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