宮城県神道関係文化財調査(平成20年度)
2012年2月28日更新
1. 調査目的
指定文化財を実地調査することによって、その特徴や問題点を抽出し、当該文化財の有する歴史的・社会的意義を究明する。とりわけ、有形文化財である建造物の、造営時において生じた伝統文化に関する意識を抽出し、そうした意識の時代的・社会的・思想的背景をも探る。
今回の調査対象は、鹽竈神社とした。同社は、
(1) 陸奥国一之宮・東北鎮護の神として古来崇敬され、近世に入ると、藩主である伊達家が大神主となり祭祀が営まれた。
(2) 四代藩主伊達綱村の時代に『鹽竈神社縁起』が成立し、鹽竈神社の祭神が確定した。
(3) 社殿形式が寛文年間(1661~72)の造営では石の間造、宝永年間(1704~10)の造営では流造へと変化している。
以上の特徴を有し、近世を中心とする為政者と神社との関係を知る上で重要な位置づけに置かれる。加えて、同社周辺の地域的特色や造営時期における社会全体の背景と、社殿造営との関係を明らかにし、他地域との比較の基礎となりうる神社でもある。
さらに、同社の史料を収蔵、もしくは調査している鹽竈神社博物館及び東北歴史博物館の学芸員との情報交換をはかることを目論んだ。
2. 調査期間
平成20年7月21日~23日
3. 調査先
鹽竈神社・鹽竈神社博物館(宮城県塩竈市一森山)
東北歴史博物館(宮城県多賀城市高崎)
4. 参加者
茂木 貞純 (教授、本グループ研究代表者)
池谷 浩一 (客員研究員)
小島 優子 (ポスドク研究員)
横山 直正 (リサーチアシスタント)
5. 概要
(1) 鹽竈神社
神職より、同社の祭祀の特色についての説明を受けた。具体的には次の通り。
・全ての祭祀が(1)別宮(2)左宮(3)右宮の順に行われることになっている。宮司が別宮、禰宜が左宮と右宮で祭儀を執行する。献饌と祝詞奏上は同時に行われるが、玉串奉奠は宮司により別宮・左宮・右宮の順に行われる。
・四代藩主伊達綱村による『鹽竈神社縁起』成立以前と以降では祭儀の回数や内容が相違する。
また、以下の資料の撮影を行った。
『別宮御拝殿式日勤行烈席ノ図』
『左右宮御拝殿御仮殿中式日勤行ノ時烈席ノ図』
『別宮社ノ図』
『別宮御仮殿渾沌殿之図』
『左右宮御仮殿渾沌殿相殿之図』
『左右宮御仮殿中御朝参規式ノ図幷一の禰宜控所ノ図』
『左右宮ノ図』
『御正遷宮・御仮遷宮御規式御行列御コモ敷之図』
『塩釜神社宮殿間数図面』
『塩釜社宮殿の図面』
(2) 東北歴史博物館
学芸員と本グループの研究内容や目的、東北歴史博物館の活動内容等について情報交換を行った。
6. 今後の課題
鹽竈神社は、仙台藩主伊達家が大神主をつとめるなど、藩内において特別な関係を持っていた。これは、古代以来続く陸奥国の守護としての信仰が背景にあるものと考えられる。しかしながら、寛文年間の造営も宝永年間のそれも、いずれも社殿の基本的な構造を変更するものであり、社殿で行われる祭儀の変化もあったものと考えられる。信仰の起源や位置づけが不変であっても、祈りのかたちを表現する祭礼が変化する背景には、やはり大神主・伊達家の意向が反映されていたとみるべきであろう。
そうした動向の背景を解明するためには、『鹽竈神社縁起』が重要な手掛かりとなることはいうまでもない。今後はこの『鹽竈神社縁起』を始め関係資料を検討し、他の神社の近世の社殿造営の動向をも見据えつつ、鹽竈神社社殿の変遷の経緯を明かにしていかなくてはならないものと考える。
(文責: 池谷浩一)
塩釜社宮殿之図
塩釜神社宮殿間数図面(一部)
このページに対するお問い合せ先: 研究開発推進機構事務課






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