フォーラム「鹽竈神社社殿の変遷」
2010年7月8日更新
1. 開催趣旨
「神社祭礼に見るモノと心」研究グループでは、モノが神社祭礼の中でどのような役割を担っているのかを研究することを通じて、人々の心を究明することを目的としている。その中でも建造物は、造営の際に明確な意図ないし目的を以て行われるという特徴を有する。したがって社殿形式の変遷にはどのような時代・社会・思想背景が要因しているのかを闡明することは本事業を推進していく上で重要な指標となる。
仙台藩による社寺造営は、藩主の強い意向により行われ、その主要なものは今日、国宝・重要文化財の指定を受けている。その歴史背景を明らかにすることにより、文化財とそれを創造した心を知ることが可能となる。
本グループでは、神道関係文化財の調査を進める中で、鹽竈神社の社殿が慶長12(1607)年の伊達政宗による造営以降、寛文3(1663)年、宝永元年(1704)と造営を繰り返し、社殿形式を変遷させたこと、その背景にある、伊達家が仙台藩において行った政策、鹽竈神社に対してどのような信仰を抱いてきたのかという経緯に着目した。
ここから本フォーラムでは、(1)社殿形式の変遷について発題、(2)その背景にある慶長から宝永に至る仙台藩の歴史を報告。さらに発題者間の討議で仙台藩の神祇政策、特に社殿造営に注目してより理解を深めることを目的とした。
2. 開催日時
平成20年10月11日 13時30分~16時
3. 開催場所
本学渋谷キャンパス学術メディアセンター棟1階 常磐松ホール
4. 発表者
発表者(敬称略)
池谷 浩一 (本センター客員研究員)
尾崎 保博 (平野神社宮司、元鹽竈神社博物館学芸員)
司会
茂木 貞純 (本センター教授、本グループ研究代表者)
5. 会の概要
発題(1)「仙台藩と鹽竈神社-近世を中心として-」(池谷)
仙台藩の社寺造営について、伊達家と縁の深い鹽竈神社・大崎八幡宮・仙台東照宮に着目し、天正年間(1573~93)から文久年間(1861~63)に至るまでの社殿造営の経緯を確認した。
元来左宮と右宮の二社殿であった鹽竈神社が寛文三年(1663)の造営で所謂権現造の一社殿となり、宝永元年(1704)には元の左宮及び右宮に加えて別宮が造営されて三社殿の流造とされた経緯を報告した。また、平成19・20年度の宮城県神道関係文化財調査時に入手・撮影した資料に基づき寛文の造営、宝永の造営、現在の社殿の解説を行った。
寛文の造営から短い期間で宝永の造営が行われた背景には、四代藩主伊達綱村の鹽竈神社への篤い信仰による『鹽竈神社縁起』の制作があり、さらに同縁起に基づく社殿形式の変化があることが報告された。
発題(2)「鹽竈神社社殿形式の変遷」(尾崎氏)
古代から鎌倉・室町を経て江戸時代至るまでの陸奥国に関する職について報告がなされ、奥州藤原氏の流れをくむ伊達氏が鹽竈神社の大神主として特別な地位を築いた経緯が説明された。
寛文の造営から宝永の造営に関して、鹽竈神社の末社である貴船社と只洲社を含めた鹽竈神社全体の社人構成が変化していることについて説明がなされ、宝永の造営時に貴船社の社家が別宮の社家となった経緯、只洲社が他所に移転した経緯が説明された。
鹽竈六所明神に関して、徳川氏の遠祖が一時奥州鹽竈の辺りに居住しており、その縁で鹽竈六所明神が三河に勧請され、岡崎六所明神となり、徳川家康の産土神となった経緯、別宮は鹽竈六所明神とされることが説明された。
討議における補足説明
討議において、池谷より、鹽竈神社の年中行事が『鹽竈神社縁起』の作成とこれに基づく社殿形式の変化に伴い執行の回数や内容に相違が生じたこと、宝永の造営以降、従来の左宮中心の祭祀から左宮・右宮・別宮が同列の祭祀へと変化していることが指摘された。
また、尾崎氏より、寛文の造営から宝永の造営へと社殿形式の変化に伴い会所における神職の席次も変化したこと、鹽竈神社の御神体とされる御竈の水を替える竈替神事は、塩を絶やすことなく「塩の命」を繋いでいくという点において、人々の生命力を培うという意味を有していることが指摘された。
6. 所見
本フォーラムでは神道関係文化財のデータベース作成を進める中で、近世大名の神祇政策、特に社殿造営に関わる事例として仙台藩に注目した。
仙台藩主伊達家は奥州に基盤を持つ徳川江戸幕政下における有力な外様大名であった。その伊達家歴代藩主が大神主を勤める鹽竈神社は仙台藩そして陸奥国において重要な位置を占めていた。この鹽竈神社の社殿は寛文の造営で権現造(一社殿)、宝永の造営で流造(三社殿)と変遷し、それに伴い祭儀や神職の席次が変化した。これを推進したのが四代藩主伊達綱村である。
伊達綱村は奥州や幕府における伊達家の立場をどの様に考えていたのか。それを解明する手掛かりが、『鹽竈神社縁起』にあることが確認できた。
今後は何故その変化が生じたのかを解明することが課題となる。そのためには、他の近世大名の行った社殿造営の事例を収集、比較検討を積み重ねていき、より詳細な調査研究を進め、その成果を報告していきたい。
(文責: 池谷 浩一)
このページに対するお問い合せ先: 研究開発推進機構事務課






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