伊豆諸島における祭祀遺跡・遺物調査(第1回)
2010年7月8日更新
1.調査目的
中世・近世の伊豆諸島では、積石塚を築いたり、和鏡を用いたりする信仰が盛んであった。特に、ほぼ同時代的な史料と見られる『三嶋大明神縁起(三宅記)』が、三嶋大明神の本宮とみなしている三宅島では、他の島々と比べても格別に多くの和鏡が出土・伝世している。しかし、一部の積石塚を除けば、遺構に伴う遺物が少なく、充分実態が理解できているとは言い難い。そこで、これまで多年に亘って本学考古学研究室や考古学資料館を含む様々な機関・個人が調査を進めてきた三宅島の積石遺構と和鏡出土・伝世地について、その分布と周辺景観を統一的な視点から悉皆調査した。併せて島内関連文化財の調査、地域史料の収集などを行ない、三宅島における過去の信仰空間を復元していくこととした。
2.出張期間
平成21(2009)年8月26日(火)~8月30日(3泊5日)
3.調査地
三宅村教育委員会・三宅村役場・三宅村立図書館・島内積石塚・和鏡出土伝世地・海岸転石散布地・主要神社仏閣(東京都三宅村)
4.調査参加者
吉田 恵二 (教授)
内川 隆志 (准教授)
深澤 太郎 (助教)
石井 匠 (ポスドク研究員)
佐藤 周平 (本学大学院学生)
上田 翼 (本学学部学生)
5.概要
8月26日
竹芝桟橋より三宅島へ向けて出港。
8月27日
三宅村教育委員会・三宅村役場を訪問し、調査概要を説明して協力を依頼する。午前中は、村立図書館にて地域史資料を収集した後、阿古地区の和鏡伝世地などを踏査。午後は、伊ヶ谷地区に移動して調査を続行。海岸転石の調査も試みた。
8月28日
終日、伊豆・神着地区の積石遺構と和鏡出土・伝世地を踏査。新たに伊豆薬師堂境内で積石遺構を確認。また、「落人姫」の伝承にまつわる「備後様」の積石が湮滅した事情について情報を収集することができた。
8月29日
坪田・神着地区の積石遺構と和鏡出土・伝世地や石造物を調査。坪田中郷では、新たに積石1基を確認すると共に、加藤信義氏のご案内を得て後藤守一氏が調査した地点を記録。台風11号接近の報を受け、31日まで予定していた調査の切り上げを決断。
8月30日
早朝より、調査未了地点を阿古地区から時計回りに踏査。午後、風雨の強まる錆ヶ浜港を出港。竹芝桟橋から大学へ向かい、機材を返却して解散。
6.所見
積石遺構の実態は多様であり、従来指摘されてきた年代的位置付けの困難さも一朝一夕に克服できるものではない。しかしながら、新規発見遺構・遺物を含めた考古学的、或いは民俗学・人類学的な基礎情報の整理が進んだことは、文化財、ひいては島の文化を保護・保全する観点からも重要な成果と位置付けることができる。
また、調査対象の測位にGPSを用いて一層正確な地理情報を入手したことにより、周辺景観と積石や和鏡出土伝世地の関係について、これまで以上の検討を及ぼすことが可能となった。特に、加藤信義氏のご案内により、昭和31(1956)年の三宅御蔵総合調査時に発掘された中郷積石西群3号積石遺構を再確認・測位できたことは特筆し得る成果である。
なお、現地調査と整理作業の過程で、大場磐雄博士資料に収められた伊豆薬師堂所蔵鏡の拓影を含め、新たに複数の三宅島関係和鏡を確認した。今のところ、三宅島出土・伝世の和鏡は、橋口集成による78面、國學院大學海洋信仰研究会集成による83面を経て、総数87面に至っている。この点については、遺漏無きよう今後も調査を継続していく予定である。
文責: 深澤太郎・石井匠
このページに対するお問い合せ先: 研究開発推進機構事務課






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