フォーラム「出雲の祭祀を考える―祭祀の構造と空間」
2011年5月17日更新
1. 開催趣旨
島根県出雲地域の祭祀考古学研究について、これまでの当プロジェクトの研究成果を公開し、また現地の研究者の研究発表と併せて現状における到達点を確認し、今後の展望について議論することを目的として開催した。
2. 日時
平成22(2010)年10月23日(土)13時30分~17時10分
3. 場所
國學院大學学術メディアセンター1階常磐松ホール
4. 発表者・コメンテーター等
内川隆志(國學院大學伝統文化リサーチセンター准教授)
加藤里美(國學院大學伝統文化リサーチセンター講師)
柳浦俊一(島根県古代文化センター専門研究員)
錦田剛志(國學院大學伝統文化リサーチセンター共同研究員/島根県神社庁研修所講師主事)
新原佑典(國學院大學伝統文化リサーチセンターポスドク研究員)
西尾克己(島根県古代文化センター長)
松本岩雄(國學院大學伝統文化リサーチセンター客員教授/島根県教育委員会文化課長)
深澤太郎(國學院大學伝統文化リサーチセンター助教)
5. 概要
・セッション1「祭祀の構造」
加藤里美「祭りの道具とその空間―美保神社境内遺跡から考える」
柳浦俊一「玉作遺跡とまつりの道具の供給」
錦田剛志「コメント」
・セッション2「祭祀の空間」
新原佑典「集落の展開過程と祭祀遺跡」
西尾克己「古墳・横穴墓の造墓集団と祭祀遺跡」
松本岩雄「コメント」
セッション1として「祭祀の構造」と題し、美保神社境内遺跡資料をめぐって発表をおこなった。加藤里美氏は「美保神社祭祀遺跡のまつりの道具」として美保神社境内遺跡の紹介と、出土資料、特に碧玉の再整理から美保神社境内遺跡で玉作がおこなわれていた可能性を指摘した。
柳浦俊一氏は「まつりの道具の製作―美保神社境内遺跡の玉作関連資料を中心に―」として出雲地方における玉作遺跡と美保神社境内遺跡出土資料を比較検討する中で、美保神社資料の時期を古墳時代中期頃に位置づけるとともに、工具類が出土しないことなどから、工人の移入による常駐でない玉作遺跡であることを指摘した。このような例は出雲地方では確認されておらず、より多角的に検討する必要性を説いた。これらについて錦田剛志氏は、コメントとして、遺跡出土資料は祭祀の最終段階にあたるものであるから、祭祀の構造、つまり祭りの手順について、[1]まつりの発願[2]まつりの支度(道具・場所)[3]修祓・潔斎[4]本儀[5]後儀[6]撤下といった現代の祭儀の手順を例に説明しながら、祭祀の全体像を認識することの必要性を指摘した。また柳浦氏の指摘になる祭祀遺跡での玉作の意義については、献上物をその場で製作することにも意義があることを、出雲国造神賀詞などを例に指摘した。併せて司会の深澤氏から、まつりの場とものつくりの場が共存する遺跡の紹介があった。
セッション2は「祭祀の空間」として祭祀遺跡と集落、古墳との関係について発表をおこなった。新原佑典氏は「集落内の土器集積と祭祀」と題して祭祀遺物を出土する、いわゆる祭祀遺跡に土器が多く伴うことを紹介したのち、祭祀遺物を伴わずとも土器を廃棄することが祭祀の最終段階として出雲地方には多く認められるとの見通しのもと、器種と廃棄パターンにいくつかの類型があることを指摘した。西尾克己氏は「古墳と祭祀遺跡から見る祭祀の主体」として、祭祀遺跡に近接する古墳・横穴墓を検討し、祭祀の執行主体について検討した。墳丘を持つ古墳に葬られる人物を中心に、横穴墓に葬られる人々が参画するのが祭祀の最小単位であることを指摘した。墓と祭祀遺跡から出土する遺物に認められる共通性に関する視点は今後重要な検討課題となろう。このセッションについて松本岩雄氏のコメントは、新原報告については廃棄の視点は重要であるが、日用品の廃棄場としての土器集積と、祭祀の最終段階としての廃棄を峻別することができるのかという点で問題を残し、判断基準やモデルを提示する必要があるとの指摘がなされた。西尾報告については、祭祀遺跡、古墳が近接して確認されている遺跡の生活基盤となった集落遺跡について確認がなされ、対して西尾氏は5軒から10軒程度の集落規模でありこれが祭祀の執行単位になるだろうと回答された。
[来場者数 96名]
6.所見
この研究会では「祭祀の式次第」ともいうべき問題が大きく取り扱われた。考古学的に確認できるのは祭祀の終了後の状況であり、最上の選地、道具の調達、執行集団、中心となる本儀の内容、そして終了後の扱いなどを念頭に置いた検討の必要性が説かれ、それぞれの報告を基礎に今後の展開に大きな成果が期待される内容であった。今後も調査研究、そして研究会を重ねていく予定である。
(文責:新原佑典)
このページに対するお問い合せ先: 研究開発推進機構事務課






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